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2025年10月20日

琵琶湖第一疏水、第2トンネル付近をちょっとだけ散策です

友人宅へお邪魔しました
そこは琵琶湖第一疏水に近いのです
だったら、ちょっと様子を見に行きます
ずいぶん前に毘沙門堂に参拝したとき、第一疏水はちらっとみた程度なんで、ちゃんと第一疏水を見るのは初めてです

京都って、同じ景色でも「京都」という言葉で、ちと、違って見えるような気がします
坂を下っていきます

お!琵琶湖第一疏水、第2トンネルに出ました

毘沙門堂の名があります

山ノ谷橋を渡り、反対側の公園へ行き、近くで第2トンネルを見ます

うん? 扁額でたどる琵琶湖疎水

第2トンネルです
第2トンネルは水路上で最も短く約124mである。
入り口の洞門は石造りの優雅なデザイン

扁額
井上馨の揮ごうによる「仁以山悦智為水歓(じんはやまをもってよろこび、ちはみずのためによろこぶ)」の扁額
「仁者は動かない山によろこび、智者は流れゆく水によろこぶ」という意味である


東山自然緑地ウォーキング・ジョギングコース

今回はちょうどスタート地点にきましたので、時間の許す限り、往復歩いてみます

この日は、曇り空ですが、美しい木々の緑とその色が疎水の水面に映り、見事です

青紅葉・・美しい
そして、紅葉となれば、さらに見事ででしょうね


この疎水を遊覧観光船が運航されているようです

桜・紅葉の時期はたくさんの方が歩くでしょうね!

本國寺への橋・・正嫡橋

ここで約400mぐらい歩きましたね
Uターンして第2トンネルに戻ります


京都というだけで、どれも素敵に見えるので、パチリです

対岸の道を歩いてきましたので、帰途は反対側からパチリです

横構図で・・疎水の水は、右から左へ流れています
1日200万トンの水が流れるらしい・・


 国指定史跡 山ノ谷橋
 第1疏水に架かる橋、第11号橋の実績を活かして建設された鉄筋コンクリート橋である

明治14(1881)年、第三代京都府知事に就任した北垣国道は、琵琶湖から引いた疏水の水力で新しい工場を興し、舟で物資の行き来を盛んにしようと計画しました
延べ 400 万人の作業員を動員し,約五年に及ぶ難工事の末、明治23(1890)年に第一疏水が完成しました。日本で初めて日本人のみの手によって成し遂げた大土木事業でした
第一疏水によって,京都のまちは,復興の道を力強く歩み始めました。今でも,「びわ湖疏水船」に乗り,疏水沿いを歩くと,各所のトンネルに,当時の有力政治家たちの揮ごうによる扁額を目にします。扁額の石に彫り込まれた文字は,琵琶湖疏水が日本における一大プロジェクトであったことを私たちに語りかけています・・・案内パンフより


定番マンホール
古都京都にちなんで「御所車」をモチーフにデザイン化したもの(職員のアイデア
雨で濡れた場合などのために、滑り止めの機能を持たせたデザインとなっている昭和63年から使用)・・京都府より引用


あの琵琶湖から京都へ水路、どうして水が流れるのか?

AI による概要
琵琶湖疏水が流れるのは、琵琶湖と京都の標高差を利用し、重力によって水を流すためです
具体的には、琵琶湖の水が自然な高低差を活かして、蹴上から始まり、水力発電や水道水、そして京都市内への灌漑用水として使われます。この水路は、明治時代に東京遷都で衰退した京都を復興させるために計画され、水力発電による産業振興や水道の供給など、多目的に利用されてきました。

琵琶湖から京都の蹴上までの標高差は、約4メートル
琵琶湖の標高:琵琶湖の実際の標高は、約85.6メートルです(大阪湾の海面を基準)


日本遺産 琵琶湖疎水、第2トンネルから本國寺の橋まで往復しました

いや~ なんと美しい疎水の緑、東山自然緑地ウォーキング・ジョギングコース
これが我が家のところであれば、毎日ウォーキングをするでしょうね

ほんと、来てよかったです













2019年8月25日

明延鉱山、明延地区の街、一円電車です

和田神社で、中井権次一統の足跡を拝見して、次は、近代化産業遺産、一円電車くろがね号の場所へ向かいます
明延鉱山、明延地区の街・・・2016年1月9日に訪れました

下、案内板には、和田神社が入っていますね・・・
・・・2016年の折にはこの案内板は無かった‥多分?

その途中…旧北星住宅

昭和11年に建築された鉱山従業員の社宅の一部で、通称「長屋」と呼ばれています
北星西部地区には昭和28年に近代的なプレコンの2階建住宅が建てられました
鉱山の最盛期(昭和30年)には社宅が780戸あり、4000人以上の住民が生活していました
現在残っている社宅は、市営住宅として利用されています

鉱山の里

8月の日曜日には動かしているようです

日本遺産 明延鉱山、中瀬鉱山

養父市指定文化財 明延鉱山明神電車(客車くろがね)



       定員:23名


現在の牽引車

明延鉱山の一円電車

この電車は開延鉱山で走っていた鉱山電車です。
乗車料金が一円ということから一円電車の愛称で親しまれていました。
正式名称は明神電車です。
一円電車は昭和20年に鉱山従業員の通勤用として運行を開始、昭和62年、鉱山閉山によって廃止されました。
客車には「くろがね」「白金」「赤金」などの名前がつけられ、開延鉱山から神子畑選鉱場までの6㎞の区間をガタンゴトンと走っていました。


「しろがね」


昭和17年製か! 凄いね


       ・・・‥運転席・・・‥


元協和会館


協和会館は鉱山従業員の娯楽・集会施設として昭和6年に建築され昭和32年に今の建物に建て替えられました。
鉄筋コンクリート2階建て、延1122㎡の当館は収容人員1,150人という大きな施設でした。
当時の会館には有名な芸能人や一流の歌手が来演し近郊からも多くの人々が押し寄せていました。
毎日のように最新の映画も上映されていました


2016年1月に初めて訪れ、今日が2回目です
平日なので、閑散としています・・・
明延鉱山、一円電車、神子畑選鉱場跡、銀の馬車道という近代化産業遺産という名がピッタシな地域となっていった歴史を再び、読み返しています!


・・・‥2016年1月にも記しました・・・‥
「明延鉱山……日本一の錫鉱山」
奈良・東大寺の大仏鋳造の際、明延産出の銅が使用されたと伝えらえる歴史の古い鉱山です。
豊臣秀吉が支配し、江戸時代に江戸幕府の下で生野奉行所の所管になりました。
国内有数の銅山、銀山として盛衰を繰り返し明治で畏怖によって明治5年に官営化。
その後三菱に払い下げ、明治42年に錫鉱脈が発見されると、「日本一の錫鉱山」として栄え、錫の産出量は全国の90%を誇ったといいます。
昭和30年頃には、従業員は1500人、職員住宅に暮らす所帯数は1200以上、人口も4000人を超えました。
明延鉱山は、やがて世界的な鉱物の価格競争に巻き込まれます。
円高によって採算性が合わなくなる中、昭和62年(1987年)有望な鉱脈を残したまま、閉山となりました……鉱脈の道より引用








2019年7月3日

神子畑選鉱場跡・・・兵庫県朝来市佐囊1826-1

神子畑選鉱場跡・・・お気に入りの場所です
とくに、シックナーの造形が、なぜか気に入っています(写真は下部に)

ゆっくり、散策しましょう

祝 日本遺産認定 銀の馬車道×鉱石の道

東洋一の選鉱場 神子畑選鉱場

神子畑鉱山は平安時代の開山したと言い伝えられ、15世紀から採鉱が盛んになったとされています。最も繁栄したのは、明治10年代から30年のこと。生野鉱山の支山「加盛山」として銀の採鉱が始まりました。しかし明治40年以降は鉱脈が減少し、新鉱脈を探すことになり、明治42年に明延鉱山で錫鉱脈が発見されたことで、採鉱は明延鉱山に移りました。神子畑鉱山は明延鉱山の鉱石を選鉱する「神子畑選鉱場」に生まれ変わったのです


インクライン・・・
傾斜面にレールを敷いて動力で台車を動かして貨物を運ぶ装置
神子畑選鉱場は各フロアの物と人の移動を担っていました。
一番上が操作室で、線路真ん中で複線になって対向できるようになっています



方向転換用ですね

神子畑選鉱場エリアマップ


円錐型のシックナー

微細な個体が混じった液体から、水分を除いて濃縮(脱水)、固体物を取り出す非ろ過分離装置
シックナーと呼ばれる円形の水槽で、鉱石と、水分・薬品を分離して清鉱を回収する


2016年1月に見たときは・・・
うん? 「これは、StarWarsに登場する離着陸のタワー?」・・・と、思いましたね


以前と比べ、随分、きれいに整備されていますね

一円電車(明延電車)



鉱石を運搬する合間に、一円という日本一安い運賃で鉱夫の家族やそれぞれの町に暮らす人の足として使用され「一円電車」という愛称で呼ばれるようになりました・・・

昭和62年、明延鉱山閉山に伴い廃線となりました・・・
元々この場所で製造されたのです


       機動車 運転席


客車



県指定文化財 旧神子畑鉱山事務舎


明治21年に生野鉱山から移築された 通称、「ムーセ旧居」

ムーセ旧居前にある、「サルスベリ(百日紅)」、県指定郷土記念物 樹齢200年

神子畑公民館

公民館前から全景?を・・・
山の斜面に幅110m、長さ165m・・・東洋一の選鉱場と呼ばれた
高低差75m 22階建てビルと同じぐらい・・・


廃校となった神子畑小学校の体育館・・・珍しい貴重なプレコン工法
・・・最盛期には230人を超える小学生が在籍していたらしい・・・



      運動場のそばの「大イチョウの木」

乳根


前回訪れた時期は、冬・・・
周りの木々は冬の装いで、今回は梅雨前・・・
木々の緑に囲まれた神子畑選鉱場跡もまた違った顔を見せてくれました

お気に入りの場所、そして、シックナーの造形が、たまりませんね・・・