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2019年8月17日

鞭嵜神社・・・滋賀県草津市矢橋町1463

滋賀県草津市矢橋町1463、鞭嵜神社を参拝します
矢橋八幡宮は、湖国矢橋地域を守護する総氏神さまとして、創建以来二二〇〇年の歴史を有する由緒ある神社です

そして、重要文化財 鞭嵜神社表門があります

社頭、石灯籠は、文政二年(1819)と刻まれています

重要文化財 鞭嵜神社表門




この表門は明治四年の廃藩置県に際し、膳所城より移築されたもので、昭和52年の屋根葺替工事によって、元は膳所城南大手門であったことが明らかとなった。
門右手には潜戸を設け、控柱は外八双に開く。また、屋根は本柱通りに切妻を掛け、控えにはそれより低い切妻屋根をのせる。そして屋根には膳所城主本多家の家紋である立葵を飾った軒丸瓦や鬼瓦を飾る他、柱、扉などの要所に鉄板を鋲打するなど重厚堅固な意匠となっている。



門柱に書かれている文字…内務省下附 保存金?? なんでしょうか? 

膳所城主本多家の家紋である立葵を飾った軒丸瓦

境内から…


       柱、扉などの要所に鉄板を鋲打する


鞭嵜八幡宮 由緒記

祭神:応神天皇、神功皇后、高良大神、住吉大神、菅原道真公

由緒……
矢橋八幡宮は、湖国矢橋地域を守護する総氏神さまとして、創建以来二二〇〇年の歴史を有する由緒ある神社です。
天武天皇の白鳳四年(西暦六七五年)大中臣清麿が天皇の命を受け近江国は矢橋の地に八幡宮を創建したのが始まりとされています。
建久元年には、上洛ため当所在地をお通りになった源頼朝公は、馬上から鞭で指しあの森に祀られている神はどのような神か」とお尋ねになられたところ、村人が八幡神であることを申し上げると、頼朝公はすぐさま馬から降りて参拝されたと伝わります。また、同三年には、卜部兼藤が植朝公の命を受け社殿を再興しています。
この深き由縁から、鞭の嵜で指し示された社として、以来、鞭嵜八幡宮と名が改称され現在に至ります。
国を守護する神、文武・必勝の神、悪病災難除けの神として、歴朝をはじめ武門から崇敬の念篤く、幾多の寄進を受けています。
また、明治四年には、当時の膳所城藩主の本多康穣主藩正は、膳所城の南大手門を寄進され、現在この門は重要文化財に指定されています。…配布案内書から引用


拝殿


本殿
…妻飾部分が、覆われていますね…残念ながら彫刻など望むことはできません


      透塀前の石燈籠… 天保九年(1838)


手水舎

手水鉢には、文政八年(1825)も文字が読める

北側参道

社頭前にある、草津歴史街道の説明板

矢橋道
矢橋道は、近江八景矢橋帰帆で著名な矢橋の渡しへの道で、東海道の脇道
勢田橋経由の陸路にくらべ、大津への短捷路として往来が激しくなった

大津市、近江國一之宮建部神社、草津市、鞭嵜神社を参拝しました
永き歴史を有する神社で、なかなか興味深いものがありました

膳所城址にも行ってみたいですね……

追記:この鞭嵜神社の写真は、RAW→JPEGのまま、Googleアルバムにアップロードした写真を使って作成しています…どうでしょうか? キレイに見えますかね!








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