新緑の山間を北へ走ってきました
その新緑の木々に埋もれる、出石城址を散策しました
さぁ、城下町を・・・
出石のシンボル・・・「辰鼓楼」・・・豊岡市指定文化財
廃城となった出石城三の丸大手門石垣を利用して、明治四年(1871)に建設された
高さ約13m、内部は四階建の構造
大手門脇の櫓台に、時刻を知らせる太鼓を叩く櫓として建設されました。
明治十四年に医師、池口忠恕氏が大時計を寄贈してからは、日本最古の時計台として親しまれています
定番・・・マンフォール?です
昼食にしましょう・・・出石皿そば
辰鼓楼の時計は、11時45分・・・ちと、はやいかなぁ!
今日は、臨時休業が多いのです・・・行きたいお店もお休みです!
で、歩いていると、「どうぞ・・・」と、サービス券をいただきました
「本陣鸛屋」さんでした・・・
皿そばは一人前5皿・・一枚サービスです
・・・嫁と二人で、12皿・・結果、私、7皿、嫁、5皿の配分となりましたけど・・・
卵、山芋、ネギ、わさび・・・定番です・・・蕎麦は美味しかったです・・・
・・・二八蕎麦とのことです・・・
辰鼓楼を眺めながら、頂きました・・・今日は観光客は少なかったのも幸い?でした
腹ごなしに散策します
・・・出石町指定文化財「旧出石郡役所」・・・
この建物は当町における唯一の明治年間の洋風建築物です
郡役所として明治二十年に建造された、日本の天気予報の創始者である桜井勉をはじめ、出石の偉人展を常設しています。
八木通りを歩いていると・・・お! 大黒さんか?
虫籠窓の意匠・・・鶴か?鸛か?
維新史蹟・・・と、ある
桂小五郎が出石で最初に隠れたという、田結庄町の「角屋喜作」宅跡
長州藩の桂小五郎は禁門の変で朝敵として狙われる事になり、但馬へと姿を隠します
山陰道(丹波道)を福知山へと抜け、4日間で約120kmの道のりを踏破し、7月27日に出石町へと入ったとあります
見上げれば、有子山城が・・・
此隅山城が落城した後、新たな城として天正二年(1574)に山名祐豊が有子山山頂に建てた城
標高が321mあり、その眺望は素晴らしく、時期によっては雲海も見下ろせますとある・・・
四阿もありますね・・・
ここには、有子山稲荷神社の社頭から登山道がありますが・・・私の脚では無理なようです
有子山城の鯉のぼりを見上げ・・更に散策は続きます
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