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2018年9月29日

生野神社・・中井権次一統の足跡を巡って・・京都府福知山市三俣

中井権次一統の足跡を巡ります

京都府福知山市三俣、生野神社(御幣神社)です
2016年3月24日に訪れました
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2016/03/blog-post_24.html

3月は福知山市指定天然記念物 生野神社のケヤキも枝のみ・・・
2018年9月、樹勢ますます勢いよいらしく、葉が茂っていますね・・・
・・・車内よりパチリです(写真下、中央付近)・・・


社頭



延喜式・式内社 生野神社記 (御幣神社 みてぐらはん)

・・・延喜式 式内社とは・・・
延長五年(927年)藤原忠平によって調査され、延喜式目に選上登録された中央政府にも相当名の知られた神社のことで、当市内に四座ある
・・・祭神・・・
天鈿女命で平和な舞踏や音楽を愛好されると共に、九州から伊勢まで男神を無事送り届けられたという勇ましい女神様でもある

徳川時代の参勤交代には、当地方の領主綾部藩の九鬼氏をはじめ、福知山、舞鶴、宮津、峰山、豊岡、和田山等の大名が行列美々しく此の道を通る時は、必ず参拝して長途旅行の安全を祈願し、神前の榊の枝葉を戴いて御守とし、帰途これを返納したので以来、旅行、出張、転勤、外遊等の生活と道中安全の神様として有名である

・・・社殿・・・
慶長年間(1600)関ヶ原の戦の頃、社殿の改築があり、更に元禄年間(1700)忠臣蔵討入の頃、神祇管領より正一位を授けられているが社殿は後の山上にあった
明治六年(1873年)生野神社と改称、昭和四年(1929年)拝殿新築、昭和八年(1933年)社務所を建てた

・・・御幣神社・・・
鎌倉時代(1200年)から江戸末期(1800年)までは、みてぐらはんと称えていた
これは、綾部藩主九鬼氏が生野に倉庫を建て上納米を取立てていたが、毎年当神社へ御供米を奉献していたので、御幣(みてぐら)と呼ぶようになったという

・・・神社記より、一部引用


境内


拝殿

拝殿は、折上格天井

鈴が工事のため、取り外されています
・・・向拝柱の幅で、置かれている、奉納石(名称?)に・・・江戸時代後期、文化十四年(1817)と刻まれている

兎の毛通し

向拝
・・・梁間の獅子の彫刻・・・何処で見たかなぁ? 同じ造形・・・思い出せない!・・・

鈴の奥の彫刻・・・前回は撮影できませんでした
・・・阿吽の亀?です・・・

木鼻

拝殿は向拝庇が長くのびた入母屋造

その左右の蟇股には・・・阿吽の虎!


彫物師 当国柏原町住人 中井清次良正用

本殿

手挟み+木鼻

左脇障子 
・・・福知山市の全神社とは云えませんが、脇障子が後方へ45度開いて造形が多いですね・・

右脇障子

社殿右の境内社 皇太神宮、神明社、八幡社

社殿左の境内社・・・猿田彦社

社殿左の境内社・・・稲荷社・武大神
・・・狐が新しくなっています・・・真っ白です

狛犬と石燈籠


福知山市指定天然記念物 生野神社のケヤキ 福知山市の名木(41)


     ・・・胸高幹周/5.83m、根元幹周/7.13m、樹高/19m、樹齢/約600年

2年半ぶりに生野神社へやってきました
この生野神社も彫刻の素晴らしさと、何度も訪れたくなる雰囲気のある神社です






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