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2018年9月5日

知井八幡神社・・・京都府南丹市美山町北宮ノ本31-1

京都府南丹市美山町北宮ノ本31-1、知井八幡神社を訪ねます
前回訪れたのが、2015年11月18日・・・「美山かやぶきの里」を訪ねました
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2015/11/blog-post_83.html

その時、参拝して、彫刻に圧倒され、そして、後日、中井権次一統の作ではないかとの記述を見つけ、3年を経過した、本日、再訪いたしました

府道38号線から山手をみれば、左には茅葺きが、そして右手に鳥居が・・巨木が!


    神社左手、参道坂の下に立つ、社標と灯籠

     参道を登ると・・・鳥居が

境内です

社務所前より



知井八幡神社の由緒

当神社は、中世知井之庄九ヶ村の惣社で、延久三年(1071)に創建された
永禄十年(1567)に山抜けによる大洪水で流失したため、社殿移築の協議がまとまり、元亀元年(1570)に現在地に移転、再建された・・・中略・・・
現在の本殿は、明和四年(1767)に再建されたもので、特に神社彫刻では丹波地方を代表する神社として広く知られている
また、この地は小浜と京都を結ぶ若狭街道の道筋にあったため、往来の人たちでにぎわい、旅に安全を守る神社として賑わった歴史がある


京都府指定文化財 八幡神社本殿(江戸時代)

本殿



知井八幡神社本殿を飾る装飾彫刻
・・・凄いです・・きめ細やかに説明がなされています
・・・今回、この説明文をそれぞれに引用させていただきます・・・



八幡神社本殿の造営は、明和三年(1766)の上棟で、大工棟梁「室田利平衛」が携わっている。室田大工は、播州三木からの出稼ぎ大工で地元ではほとんど知られていません
しかし、南丹町北部、綾部市、福知山市方面の、江戸中期に有名な社寺彫刻師、大阪「草花氏」「長谷川氏」や丹波柏原「中井氏」と組みその地域の中心的な社寺を沢山残している。その社寺は、細やかな細工の装飾彫刻で埋め尽くされた荘厳豪華な造りとなっています。
彫刻師については現時点、判明していませんが、彫刻細工の様子から、丹波柏原住人で、柏原拠点に丹波、丹後、但馬国、北播方面に沢山の彫刻を造っている「中井一統」の作品に近いと推測されています


向拝・・・
・・・破風先の懸魚「菊の花」・・・
懸魚の菊花の細工は、彫刻を別で繋げている物ではなく、元々一枚物の板から菊の花を彫り出だしている


力神・・・鬼の形相で力の限り屋根を支えている

正面目貫「松に鶴二羽」

「二十四考」
中国古来の特に孝行の優れた代表的な二四人について書かれた教訓書でその二つの物語が彫刻されている

右側蟇股「孟宗」
筍を食べたかった母のため、冬で筍が採れる時ではなかったが、孟宗が竹林に入って哀願したところ筍が生えてきて、母に食べさせてあげることができた。
モウソウ竹の起源になっています


左側蟇股 揚香
父と二人で山へ行った時、二人の前に虎が躍り出て来て、去るように願うが叶わず
、「私だけを食べて、父を助けよ」と願うと今まで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げたという逸話から来ています



    手挟み・・・牡丹に鳳凰




木鼻・・・獅子

木鼻・・・麒麟


木鼻・・・漠
・・・持送りは、鳩


   ・・・左脇障子・・・「獅子の子落とし」
        我が子に試練を与え厳しく育てることをたとえて言う



     ・・・右脇障子・・・「鯉の滝登り」
          目標達成のために一気に歩み進むこと



妻飾り中央大蟇股・・「鶴」
   鶴も瑞鳥の一種で幸福を呼ぶ鳥である
   鶴の首の向きは、??共本殿方向を向いている

本殿、右側面



     本殿、左側面


   神輿庫

        狛犬



鳥居前から、由良川、悠々ひろば方面を・・・「P」の場所です

知井八幡神社・・・彫刻を眺めること1時間・・・説明文があるお陰で、大変助かりました
その「知井八幡神社本殿を飾る装飾彫刻」が作成されたのが、2017年5月5日
その文面にあるように・・・「中井一統」の作品に近いと推測されています・・と!
そうなれば、時代年代から、四代目、中井言次君音(1722~1787没)か?
しかし、今まで見てきた、君音の作風とは違うように思えますが・・・

どうあれ、想像するだけで、楽しいですね
「中井一統」の作品に近いと推測されていますので、私の備忘録では、中井権次一統の足跡として、登録しておきます









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