中井権次一統の足跡を巡って、宗雲寺へ向かっていた、道沿いに・・・立派な神社が・・・・
これは、見て見ぬふりはできません・・・帰途、参拝です
備忘録記するとき、分かったのですが、参道は、下図の右久美浜駅の左の赤丸が社頭です
神谷太刀宮四道将軍の一人で、山陰地方を平定、開拓した丹波道主命を祀る神社です。道主命亡き後、道主命所有の国見の刀を神霊として祀り太刀宮と称しました。神谷神社は創立1千年後に大破、太刀宮と合祀したため神谷太刀宮と呼ばれています。延喜式の神名帳に記録されている由緒深い社で境内外には十数余りの社が鎮祭されています。
この鳥居は、北西に位置します
・・・鳥居の脇には、「式内郷社 神谷神社」と刻まれた社号標があります
境内の神谷神社、由緒・・・
神社では 丹波道主命が 丹波平定の後、明神谷に出雲国より八千矛神、天神玉命、天種 子命の三座の神々を迎え 出雲の人々の歓心を得、社殿を創建したのに始まる と伝えられる。
丹波道主命は、丹波河上摩須郎女をめとり、五子を授かる。
その娘の 日葉 酢媛は第十一代垂仁天皇の皇后となる。神谷神社は 旧郷社であり、社蔵文書 によると文禄五年(1596)城主 松井康之から用地寄進を受けていること がわかる。
鳥居は石造明神鳥居で、宝永四年(1707)に建てられたものである。
八幡山の山麓に巨石を擁し、自然崇拝の「磐座」の様相を呈し、境内地一帯 は、京都府文化財環境保全地区に指定されている。
境内の参考館(考古館)は、旧久美浜県庁舎 玄関棟の建物の一部で、明治 初期の武家屋敷の流れをひく役所建築として貴重である。
神谷神社本殿: 京都府指定文化財 昭和六十年指定
神谷神社神門: 京都府登録文化財 昭和六十年登録
八幡神社本殿: 京都府登録文化財 昭和六十年登録
鳥居: 京都府登録文化財 昭和六十年登録
参考館(旧久美浜県庁舎玄関の一部): 京都府指定文化財 昭和六十年指定
文化財環境保全地区 京都府指定文化財 昭和六十年指定
・・・境内案内板より引用・・・
広い、砂地の境内・・・
神門・・・
・・・切妻造の四脚門で格天井を張る
下から向拝を眺めると・・・おおぉ、立派な龍が・・・
・・・この位置からのみ、龍と正対する場所ありません
本殿は真四角の大社造り・・・「太刀宮造」と称され この地方では例のない神社建築である
・・・出雲型式の社殿は丹後では当社だけのようです
・・・向拝の正面から彫刻は、これぐらいしか見えませんね・・・
う~ん! イイすね・・・なんといいましょうか? 傑作ですね
道路を挟んで、磐座があります・・・ここも、境内なのですね・・・
八幡神社・・・
八幡神社・・・
・・・小規模なこけら葺、一間社流造で孔雀の彫刻を施すなど装飾 豊かな社殿です
神谷磐座・・・
神谷神社境内の一角に巨大な盤座(信仰対象の岩)があります。 片方の巨石の割れ目の方向は南北に開いており、北向きの隙間の延長線上には北極星があります。 古代の人々は北極星の動きを観測し、天体と自然を司る神として考えておりました。 もう一つの割れ目には夏至に太陽の日の出が入る方角に開き、反対側は冬至に太陽が没する方向に開いています |
磐座下部の南北スリット・・・・
注連縄のある岩が磐座の中心になる石
・・・夏至のとき、岩石の割れ目から太陽の光を受ける石(ヒールストーン)です
ここは、自然の神々の中心的な存在であるパワースポットです
磐座側から見た、本殿・・・本殿は真四角の大社造り
参考館(旧久美浜県庁舎御玄関棟) 京都府指定文化財
・・・旧久美浜県庁舎玄関棟の建物の一部で、明治 初期の武家屋敷の流れをひく役所建築として貴重である
見事な、神社でした・・・
本殿の彫刻もすばらしい・・・ググってみても、分かりませんでした・・・
そして、磐座・・・八幡神社・・・
京丹後市観光案内は、神秘な伝説のパワースポットと、紹介しています・・・
そうですね・・・確かに、この巨岩、そして、スリット・・・
人間の営みに、星、太陽崇拝、星信仰の最高神は北極星・・・古代から常に星が回る中心だったから星の最高神として祀られてきました・・・
上写真にある二つの垂直割れ目(スリット)から常に変わらない北極星を観察していたのです・・
・・ロマンで~すね・・・天と地を繋ぐ、神谷磐座・・日本における祈り場と天体観測装置の原点であり「和の源流」の地として、今も残っています・・・・・・・案内板より引用
参拝日:2017年8月4日
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