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2016年8月4日

清薗寺・・・県指定文化財を巡る・・・丹波市市島町下竹田68 !



大江山の鬼退治が伝わる兵庫丹波の高野山真言宗 鎌倉山 清薗寺


仁王門・・・寛政7年(1795)
総門-仁王門-燈籠-本堂が一直線上にあって伽藍配置である・・・(下写真には総門はありません)
明和四年(1767年)5月仁王尊造立・・とある

蟇股には、獅子噛み・・・
左、蟇股・・・兎・・

右、蟇股・・・兎・・

県指定文化財・・清薗寺石造燈籠
この石造燈籠は竿石の銘により、貞和三年(1347年)に左衛門尉平顕信が奉納したものであることがわかる
各所の格狭間、竿石の珠文帯、火袋石と蓮花座と種子文(金剛界種子)など、細部手法によく南北朝時代の特徴を示している
総高2.73m 二段の泥石上にたち、夜久野石様の砂岩で造られており、意匠も優れていて、均整のとれた姿は優美である
刻銘には「右志者為天下泰平 六道四生一切普利」とあり、六道思想がうかがわれ、文化史上興味深いものがある
・・・案内板より引用

実に、うつくしいです・・・もう一度、見に行こうかなぁ?
貞和三年 左衛門尉平顕信・・と、よめる・・・いや、みごとに読める状態が素晴らしいですね!!


うん! いいお姿ですね・・・
市島町指定・天然記念物  清薗寺の大杉 樹齢五百年(推定)
薬師堂の傍らにあることにより、落雷から御堂を護ってくれる御神木である
高さ30mあったが、ここ50年間で三度の落雷に遭い現在は高さ23m、幹周り6mとなっている
昭和28年薬師堂屋根葺替えの財源として売却されるも 伐採を惜しむ声が上がり、有志によって「大杉保存会」が結成され買い戻して現在に至る
近年、杉の木の痛みが樹木医の治療を受けた・・・一部省略・・・
・・・案内板より引用

この御神木が、落雷から、薬師堂を守ったのですね・・・それを売却するなんてね!・・・しかし、それも、身を捨て守る術だったかも・・・しかし、「大杉保存会」の有志の方・・・ご立派です・・・m(_ _)m
本堂・・五間四面の瓦葺、宝形造
市指定文化財 清薗寺薬師堂

清薗寺は大江山の鬼退治をした用明天皇第三皇子の麻呂子親王が薬師如来像を安置するために建立した七ヶ所の寺院の一つと伝えられる

本堂である薬師堂は、五間四面の瓦葺、宝形造で、江戸時代の貞享三年(1686年)に再建された

本尊の薬師如来像は33年に一度、御開帳される

内部は前方二間を外陣、後方三間を内陣とする
また、外陣正面には市指定文化財で貞享五年(1688年)に竹田の三ヶ村の願主として奉納された麻呂子親王鬼退治絵馬がかけられている

清薗寺の伽藍配置はすなわち主要建物の配置は、総門-仁王門-燈籠-本堂と一直線上に位置するもので、古い形式をとどめている
・・・案内板より引用
千社札は処置しています・・・
外陣内部・・・絵馬を見たくて、隙間からパチリ・・・手書きの、寛政八年(1796年) 貞享五年(1688年) 文久三年(1863年)の年号が見えるが、残念ながら絵馬は写りませんでした・・・m(_ _)m
本堂より・・石燈籠、仁王門をみる・・・
親王院へ・・
親王院の持仏堂前にある枯山水庭園・・・
清薗寺の案内によれば・・・・
庭の構成は、隅に重点的な石組をもってきて、前面に空間を広くとっている・・中略・・
石組技術にも非凡なものがみられ、目立たない石組ではあるが、高度な技術を駆使した配石である・・・清薗寺の案内より引用



清薗寺の伽藍は総門-仁王門-燈籠-本堂と一直線上に位置するとあるが・・・残念ながら、総門(赤門)を見逃してしまった・・・(>_<)

近々、再訪してみよう・・・なぜなら、・・寛永年間(1624年~)左甚五郎は総門の建築に力をそそぐと伝えられる・・とあるのです!

それに、古くからこの地域は、 京都の下鴨神社社領の荘園に縁のある地域であり、 上加茂、中加茂、一宮、伊都伎、二宮、そして三宮の6社があり、 秋には 「お旅」 と称し、 神輿が練り歩いて宮神社へと宮入りするとのことである・・・丹波新聞より引用

では、総門と一宮、二宮、そして三宮を巡ってみますか!・・・楽しみです!!




参拝日:7月6日





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