三重県伊賀市伊賀上野・・そう、伊賀忍者の里を訪れます・・
伊賀上野の名所、史跡を巡ります・・・
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左図:上野公園 観光案内図 
 
 
伊賀上野を訪れるに際して、歩いて散策が最もよいと・・ 
旧小田小学校本館は、伊賀上野城の北西に位置して、ちと、散策路から離れているので、「α君」で、行きます・・・ 
 
赤四角部分・・・ 
・・上野城の名所・・高石壁を下から見上げるためにも・・・このルートを! | 
、伊賀上野の名所、史跡・・・まずは、旧小田小学校本館・・・
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あいにく進入道が工事のため、通行止め・・・ 
ぐるっと回ります 
 
無料「P」はあります 
入館料は100円 
 
この「P」に工事関係者が停めていましたが、2台分、空いていて「P」できました | 
県指定・建造物 旧小田小学校本館・・
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明治十四年十月十九日建築落成 
木造二階建て 
間口15.84m、奥行き、7.92m 
正面ポーチを含め延べ274㎡
 
現存する小学校としては、県下最古の建築で、 
洋風二階建て、寄棟造、桟瓦葺、ポーチは切妻造、 
壁は漆喰仕上げ、軒は持送り風のくり形になっている
 
 
最も意匠をこらしているのは、正面ポーチで、エンタシツ風の柱を用い、階上、階下とも吹き放ちになっている
 
玄関入口上部には、竜の彫刻がはめこまれている・・・ 
・・・案内板より引用 | 
うん! ええ感じですね・・・(*^_^*)
エンタシツ風の柱で、玄関入口上部には、竜の彫刻がはめこまれている・・・参観できます・・はい!
玄関正面、二階の鬼瓦・・・「竜虎の戯れ」と「啓迪学校」・・・
玄関を入ったところに・・・カワイ「昭和型」ピアノ・・と、ある! そっ~と、鍵盤を・・鳴ります!
小田小学校・・明治14年に校名を「啓迪学校」と改める
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・・一部省略・・・ 
困窮した村財政の中、資材の骨格は赤坂町菅野家の酒蔵の古材を譲り受けるなど工夫をこらした
 
屋上には太鼓楼を加えエンタシス風の柱で支えたバルコニーを取り入れた
 
二階に残されている色ガラスは、当時の建築係が神戸市まで出向いて調達したと伝えられ、ギヤマンの学校として評判になった 
「啓迪学校」の命名は、「書経」の「啓迪後人」(教え導く)からとったもの 
・・・案内板より引用 | 
時計にしろ、机、椅子にしろ・・記憶の何処かにありそうな、懐かしさを感じる、教室です・・タイムスリップしたみたい・・・
さすが、これは使ったことがないが、「石板」 ・・文字、絵を描いて、消す・・いいすね!
ビー玉、ガラス製のおはじき?・・と、いったよね! 
さすが、私の時代ではないが・・・「ハト マメ マス ミノ カサ カラカサ」 大正六年ですね
蝋立(ろうそく立て)つきのピアノ・・・日本楽器製造株式会社(ヤマハ)の初期の大変めずらしいもの・・小田小学校、廃校まで使われていたと・・・勿論、鍵盤を・・・うん! いい音でした!
明治26年 尋常小學讀本・・・桃太郎 は だん~ 大きく なりて、まこと に つよく なりました・・
スペースで読みやすくしているのですね・・
数枚残っていたギヤマンの色ガラスを元にして、復元されました・・・
・・・外のバルコニーが波打っているように見えます・・・お見事!
このガラス越しの波打っている模様・・・どこかで見たなぁ・・そうや! サンドラブロック主演のインターネットという映画のワンシーンで、PCがウイルス感染していく様子がこんな感じでした・・(*^_^*)・・知らないかもね!
おお、ガリ版や!鉄筆にロー紙・・・いや! 懐かしい・・使っていたことが蘇ります
左、つけペン方式のペン先・・鉛筆類・・高級品、そりゃ、最後の最後まで使わされましたね!
明治23年(1890年) 「教育ニ関スル勅語」・・・
う~ん! じぃっと、眺めていても、飽きないですね
太鼓楼・・・正面からは全体像は見えません・・・裏へ回って、パチリです!
時代は違えど、どこか、懐かしさがこみ上げてきます・・・いい建物です・・
裏から回り、崇広中学校のグランド沿いに、上野城の高石垣を眺めます・・・
続きます・・・・
 
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