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2015年12月2日

新野の水車・・・銀の馬車道エリア、兵庫県神崎郡神河町!

西日本旅客鉄道、そうJR西日本、兵庫県神崎郡神河町新野字中村にある、播但線の駅・・新野駅・・・
ここが、新野の水車の郷、玄関口?です・・・「銀の馬車道馬宿り、新野地区」とある

新野の水車・・・
新野地区では、元禄六年(1693年)頃から、水路より高い場所にある田んぼに水を入れるために水車が使われてきました
全国的にも珍しい竹枠式の構造で、非常に軽く、乾いていれば二人で運ぶことも出来ます
昭和30年代までは、18基の水車が並んでいましたが、昭和50年代には3基にまで減ってしまいました
そこで、地域の伝承文化を後世に残すため、熟練者の指導のもと地域住民の手で水車の製作、維持管理、補修など行っています・・・案内板より引用

ギシギシ、音を出して、回っています・・・結構、大きな音です・・・夜中、耳につきそう・・で~す!
水車の右側、山手側の田んぼが左側と比べて、高い位置にありますね・・そこへ水を揚げるのですね・・

水車小屋・・・
現在の精米は精米器によるものがほとんどですが、昔は足踏み式や水車式の杵と臼により精米していました
精米器は短時間で大量に精米できますが、精米時に発生する摩擦熱によって、お米のうま味のもととなるデンプンが変質します
杵と臼で時間をかけて精米すると米の温度が上がらずデンプンの変質もほとんどないので、お米の本来の粘りとうま味が保たれます
杵を動かしている動力水車はより大きな動力を発生させるため、他の揚水水車より直径が大きく、羽板の数や大きさも工夫されています
・・・案内板より引用

水車小屋の水車は、大きいですね!
ガラス越しに内部をパチリ・・・
臼は当地区で足踏み式での精米に実際につかわれていたものを使用しています・・・・・案内板より引用
横一列に並んだ、水車を四基・・写しましたが・・・見えますかね?・・田んぼと住宅の横境めにありますよ!

播但線の駅・・新野駅、ちょうど、電車が着きました・・・
駅のそばに、水車の展示がありました・・・

農道?を歩いて水車を眺めていると・・・上月平左衛門伏承の地の案内板が・・・
江戸時代の享保元(1716年)から宝暦二(1752年)にかけて稲作は害虫、冷害、洪水等の凶作飢饉に度々遭遇し、全国的な大被害に見舞われました。
しかし年貢の取り立ては改善されなかったため、地元福本藩民の生活は考えも及ばない過酷なものでした。
上月平左衛門景重は、その悲惨さを見るに忍びず幕府の役人に直訴しようと訴状を懐に携え旅に出ましたが、志半ばに役人に捕らえられ、根宇野で斬殺されてしまいました。その上月氏伝承の地として、公徳碑等が設置されています・・案内板より引用
上月平左衛門伏承の地として、公徳碑等が設置されています

いまは穏やかな田んぼが広がり、その中に、回り続ける、新野の水車・・・よき時代の景観です!

案内板に新野地区の鎮守社、熊野神社があります・・
参拝します・・・続きます・・・

訪問日:11月26日





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