ページ

2020年4月30日

兵主神社、兵庫県丹波市春日町黒井4-1

「延喜式神名帳」によると、兵主神社は全国に19社あり、ここ、丹波市春日町黒井、兵主神社は丹波国一社として登載された「式内社」である

今年は、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」明智光秀ゆかりの地として、盛り上げようとあちらこちらに幟がたなびいています





社頭

一の鳥居から二ノ鳥居まで、参道は約100mほどあります

二ノ鳥居
鳥居額「兵主社」は、文化十一年、内大臣近衛基前は自筆のものである

兵主神社由緒

聖武天平十八年(746)に兵庫の守護神として鎮祭され、延喜式内社としてご祭神大名持大神(大国主大神)は少名持大神と共に病気平癒の守神医薬の神として健康長寿を守って下さり、また金刀比羅大神として車の守護、交通安全の守神であり、恵比寿大神と共に商売繁盛福徳開運の神であります。
往古より公家、武家、丹波、但馬、播磨、等をはじめ各地の崇敬厚く、特に戦国時代からは疱瘡の守護神として、主上御疱瘡の時または皇子御疱瘡の際には内侍局より御代参があり、また近衛関白家は代々崇敬厚く、種種の献上物は今に神社宝物として保存されております。


拝殿

拝殿、向拝
兎の毛通し

拝殿にて、参拝して見上げると、そこは、見事な彫刻ばかりです
銘は見つかりません
主祭神:大己貴大神
配祀神:少名彦大神 天香山大神 蛭子大神

右:戯れる唐獅子





蟇股







本殿へと・・・
透塀のため、撮影は難しいですね・・3台を駆使?して挑みます

本殿:明暦二年(1656)造営、享保十四年(1729)造営

左面 妻飾り


       海老虹梁、手挟み、木鼻・・・よき眺めです

       左脇障子 尾垂木からの龍頭

       狛犬

左後方より、本殿を・・・


本殿、右面

オガタマキノ 樹齢推定300年


奥ノ宮

水神社

社務所・・・獅子噛がいますね

絵馬殿内、奉納絵馬


弘化四(1847)

嘉永二(1849)

寛政三(1791)

手水鉢 天保六(1835)と刻まれている

神輿庫の戸の隙間から、SONY-RX100でパチリ



       振り返って、ご神木「一の樹」


       二の鳥居前、石灯籠 寛保元年(1741)


兵庫県立氷上高等学校グランド付近より、黒井城址を・・・

大量の写真となりました
まだまだ未掲載があるのですが、このへんで・・・
彫刻は、本殿、拝殿とも見事なものですが、彫刻師の資料がでてきません
先人の記事では、京都と深い関係なので、京彫りとも記されています
本殿と拝殿の造立年が違うようです
そして、現像する際に拡大して見ると、彫刻師も違うように私の眼は見えますが・・・

しかし、見事な彫刻群です
さすが、丹波一宮、式内社 兵主神社です・・・


追記:この記事中の写真撮影日は緊急事態宣言発令以前の撮影分です






2020年4月29日

明石海峡大橋、岩屋港の夜景です

不要不急、巣ごもりの日々ですが、急用が発生・・・急ぎ、明石海峡大橋を渡り淡路島へ

どこに出かけるのもカメラ持参です
今日のお伴は、SONY-RX100

帰路、明石海峡大橋の夜景を・・・
f1.8 シャッタースピード:1/8 ISO1600 手持ち 


f1.8 シャッタースピード:1/8 ISO2000 手持ち
ちょうど、淡路ジェノバラインの船が岩屋港へ向かっています


手持ちで、オート撮影 
シャッタースピード1/8で、手ぶれしていますが、手持ちなれば、上出来です

時刻はPM7:15 星、見えません

夜景はキレイですが、心は沈んでいます

そんな撮影でした




2020年4月28日

中井権次一統の足跡 称名寺、兵庫県丹波市春日町黒井2345

中井権次一統の足跡を巡っています
県道69号線を走り、桜塚古墳、春日神社から、黒井城址、城山の麓に向かっていきます
目的地は、あの黒井城址、城山の麓の「称名寺」です




       称名寺、兵庫県丹波市春日町黒井2345です
                      「稱名寺」ですね

じつに美しい!

山門

浄土宗 黒井山 稱名寺

お目当ての龍です


籠彫りの手挟み みごとです
・・・太鼓・・・


・・・笛・・・

迦陵頻伽が舞っています



・・・笙?・・・

上二枚の写真の手挟みは、天女ではなく、「迦陵頻伽」・・・と!
迦陵頻伽(かりょうびんが)は上半身が人で、下半身が鳥の仏教における想像上の生物。 サンスクリットのカラヴィンカ(kalaviṅka)の音訳。 『阿弥陀経』では、共命鳥とともに極楽浄土に住むとされる・・・Wikipediaより引用
そして、天女には、足がありますよ・・・と!


  
       木鼻




       獏

刻銘を探して、龍の背面を・・・

右端にありました
「柏原住 中井正忠 彫刻」とある

桁隠し

称名寺の迫力満点の龍と、見事な籠彫りの手挟みでした
そう、称名寺・・・中井権次一統作品集には掲載されていませんので・・・

追記:この記事中の写真撮影日は緊急事態宣言発令以前の撮影分です


当日は、天気良く、城山もくっきり見えます
Nikon-D300S+55-200mmで、撮影しています
このところ、NikonZ7+24-70mmと、SONY-RX100の三台持ちです(汗)


ズームで・・・黒井城址が、石垣がはっきり見えますね
登山者の姿も見えますね・・・


称名寺のすぐ側には、黒井城の下館屋敷、現、興禅寺があります
明智光秀、丹波攻めで、最後までこれに抗した黒井城、赤井直正
赤井直正が病死、黒井城は落城して、丹波の戦国史は終わったのです
そして、明智光秀配下の名将斉藤利三が、黒井城に入りました
その娘、お福・・・三代将軍家光の乳母、あの春日局の生誕地でもあります
と、いう歴史の地なのです

興禅寺、以前、訪れました・・・
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2014/11/blog-post_54.html

その時、登山にトライしようと、「P」まで行きましたが・・・
急登のコース・・・とあり、断念した経緯があります
その時は、山登り?の健脚がありませんでした・・・
来年こそはと、記していた自分がいますが、未だ達成していません
後で知ったのですが、緩い登山道があるらしい・・・お婆さんでも登れるよと!

そして、今回、称名寺のすぐ上、登山道の入口に「P」へ、行きました
うん! 満車です・・・
残念です? 
いや、満車を見て、自分に言い聞かせる私がいました
今日はやめよう・・・と!


追記:この記事中の写真撮影日は緊急事態宣言発令以前の撮影分です