ページ

2020年4月12日

中井権次一統の足跡 芹田神社、兵庫県丹波市氷上町鴨内37

中井権次一統の足跡を巡っています 
中井権次一統作品集 丹波市No17 兵庫県丹波市氷上町鴨内37、芹田神社です

延喜式神名帳 山陰道 丹波國 氷上郡 十七座の一つです





       割拝殿


割拝殿への神橋、石段は改修されている

右下に改修前の石碑が・・・安永八年(1779)の、文字が読める
残すことは素晴らしいことです
おそらく、左の石段は同年代と思いますね



割拝殿内の延喜式内 芹田神社由来の記

時維元禄の頃、この辺を豊岡県丹州由良村の鴨内村と呼んでいた、当所初代の庄屋を六兵衛という人が務めた、その頃由良の(今の北由良)に別所豊後の守という士族あり一円を治めた。 偶々元禄十三年(1700年)元旦のこと、早朝降り積もった大雪の中を白馬に乗り六兵衛を尋ねられて「この村に熊野大権現をお祀りしているか、実は昨夜夢枕に立たれ『この村に社を建て祀ってくれ』とのお告げがあった」と申された、
そこで六兵衛は「社祠はないが手洗鉢所に大きな石を立てて熊野三社大権現様と村人が崇拝しております」と申し上げた。早速豊後守は六兵衛を連れて山を上って見ると不思議にも一カ所だけ雪が無く地面が露出していたのであった。 豊後守は「ここだ、ここが神のお告げの所である」と言って六兵衛に神殿の建立を強く要請されて帰られたのであった。六兵衛は早速村人を集めて相談し神殿の造成に取りかかった。当時としては多くの資財と人力を費やしての大事業である。 六兵衛自らは周辺の所有する山林七尾七谷(約3町歩)を寄進したのである。これが今の本社殿と宮の谷風致林である。 本社殿の造成と共に蔵王権現、ご神木〔天照皇大神)、瀬戸宮、八幡宮、貴船宮、山の神、天王宮、正一位稲荷大明神を合祀された。 別に秋葉山社、大峰山社は芦田宗左衛門氏が祭祀された。本社殿の完成は元禄十五年(1702年)と本社殿棟札に残っている・・・由来記より


境内

本殿、三間社流造銅板葺

主祭神は、高雄神尊

覆屋に張られた説明


中井権次一統の足跡の龍
装飾彫刻探訪記によると、明治時代改修再建時のもののようです
残念ながら、背面には、銘はありません

眼の赤い色も鮮やかです、そして、龍の鼻先に穴が開けている・・・
もしかしたら、この穴に銅線の髭が取り付けられていたかも?
・・・想像するのも、いや、楽しいです~・・・

木鼻・・・これ、なんなでしょうか?

手挟み・・・これも、なんなでしょうか?
木鼻、手挟みは、中井権次一統の作ではありませんね

元文五年(1740年)

手水舎、手水鉢には、天明三(1783)と刻まれている

       二の鳥居横の石灯籠 
       火袋は改修? 竿に文政二(1819)と刻まれている

      鳥居前の石灯籠? 石碑? 享保十四年(1729年)と読める


       エエ感じだったので・・・パチリです

作風が違う? 正体不明の彫刻は、どう表現すればいいのか?
難しいですね!
向拝の龍は、中井権次一統の作でしょう

またどこかで、同じような作風に会えるかも・・・楽しみ?です









0 件のコメント:

コメントを投稿