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2020年4月9日

中井権次一統の足跡 高座神社、兵庫県丹波市青垣町東芦田2283

中井権次一統の足跡を巡っています 
中井権次一統作品集 丹波市No31 兵庫県丹波市青垣町東芦田2283、高座神社です

社頭から見える氷上の山並みと広がる畑・・・
気持ちが晴れ晴れする、自然がもたらしてくれる光景です

社頭

鳥居 正徳二(1712)

蟻の宮



昔、水不足で困った村人は「神社で雨が降るようにお祈りをする」と祈った。村人の前を蟻が石段を下り、道を通売り山の中に入るとそこに小さな池があり、そこで、さらに雨が降るように祈ると、大雨が降ってきた。池を案内してくれた蟻たちは水に流され死んだ。その後、稲も育ち、お米がたくさん取れた。今も「蟻の宮」と石に彫り、お祈りをしている



参道の古い石段を足下に気をつけながら上がると、圧倒される拝殿が現れる


高座神社由緒略記

御祭神
大日霊尊(犬照皇大神・伊勢内宮鎮座にて国家安泰)
天児屋根命(春日大神・国土経営・諸業繁栄・家内安全)
経津主命(香取大神・外交の神・災難除け)
武甕槌命(鹿鴫大神・勝運・戦勝・交通安全)
仲哀天皇(日本国の開国安定・慈愛の神)

 当社は人皇十四代、仲哀天皇(今より千八百余年程前)にお祀りになられた御社で、天皇が中国地方の穴門へ行幸の前年 にこの地方の村民が流行病で難渋しているのをご心配になられ武内宿禰をお供としてお見舞いになり、この社に参拝され 「病気平癒」を祈願され、お宮の名前を高座(たかくら)と名付けられました古社であります。 以前は高座谷にありましたが寛文十年(1670年)にこの地へ遷座されました。 延喜年中(901~923年)当郡式内社第一に列せられ弘仁四年(813年)嵯峨天皇より勅額を賜りました。 しかし、古記・宝剣・勅額等は弘化三年(1846年)別当観蓮失火のため惜しくも焼失してしまいました。 現在の本殿は間口二間半・奥行き一間半余り、四方に廻嫁がある大宮ツマ造りといわれております。 又別名を蟻の宮と称えています。今を去ること夏おおいに早魅の年、村民多数高座神社に参拝し七昼夜、雨乞いの祈願を 致しました 七日目の夕、村人の一人が大きな蟻がご社殿から這い出て列を作っているのをみつけました。 蟻の列をたどっていくと蟻が窪みの所で消えてなくなっていました。 蟻が消えた窪みを掘り返してみると、清水がコンコンと湧き出てきました。村民は驚き感激して、溝を通し田に水をたた え枯れかけた稲は青く蘇りました。この年芦田の谷では豊作の年を迎えることが出来たのです。今日でも水路に水神様の 嗣を作りお祭りを続けています。又、境内社の馬鳴神社は蚕の宮といわれ氷上郡内の豊かな生活を求め当社に参拝し、 「養蚕を始めよ。守護する神は保食神なり」と夢のお告げにて村民は驚き、広く養蚕を営むようになりました。ここに青垣 の地方は蚕を飼うようになり今日では五穀豊穣、諸業繁栄、延命長寿、無病息災の社として参拝されております・・・配布案内書より




拝殿の隙間から、SONY-RX100でパチリ・・・前回はもう少し隙間があったのだが・・・
そう、上手前の梁にも龍がいてるのですが、入りませんでした


向拝

木鼻


右面、蟇股

蟇股

蟇股


左面、蟇股

桁隠し・・・龍ですね


       境内社、若宮神社  祭神は、応仁天皇


向拝



若宮神社前の一対の石燈籠‥明和六(1769年)
ここ、高座神社の燈籠などは、年代の刻銘が木札に記されています



手水鉢? 寛延二(1749)

信仰の証(盃状穴)


      石段(赤いペイントの部分)


       鳥居前の石燈籠 嘉永三(1850)


この高座神社には、綿貫重吉の狛犬がいるのです
別途、ページを作成します



氷上の山並みと広大な畑に、自然の素晴らしさにも見とれ、ゆったりと社殿、彫刻を拝見いたしました







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