兵庫県多可郡多可町加美区鳥羽735、青玉神社です
県指定天然記念物でもある樹齢約一千年の杉の巨木七本が立つ青玉神社です
2015年6月2日に初めて参拝して、巨木が立ち並ぶ社叢に感動し、そして、社殿の「天井の龍」(写真下)を、発見したのですが・・・
再訪をと、思っていましたが、それから、はや、5年が過ぎていました
上写真の方向は、上部が、兎の通し、下部の彫物が、梁上の龍
上が拝殿側で、90度、反時計回りに回転させたものです
道の駅 杉原紙の里 多可の「P」に停めて・・・
両部鳥居
青玉神社
主祭神:天戸間見命
配祀神:大歳御祖命
当社は播磨、丹波、但馬の境、三国岳に鍛冶業のご神徳をもって奉斎されていた。
やがて、南の山麓なるこの地に遷座せられ、土地を拓き、農を進め、加古川流域の農業の繁栄をもたらせた。
かつては加美町北部の総氏神と崇められた。奇しく妙なるご加護は、家運隆昌、家内安全、農耕などの殖産興業の祖神と広く知れ亘り、近隣はもとより道行く遠近の人々は交通安全をはじめ、所願成就を祈る参詣者が多数あります。昔、狩人が身の安全を願う湯立の神事は、今も例年7月15日前後に行い、多くの参拝者が忌湯を浴びて無病息災を祈願している。勧請年月日は不詳なるも、明応2年、安政3年の二度も火災に罹り、現今の社殿は万延元年の造営によるものです・・・案内板より引用
拝殿
右上に社史概要額があります
乳の木
夫婦杉
ご神木・・・青玉神社社叢で最大の巨樹「夫婦杉」
幹周:9.50m、根回り:11.37m、樹高:45m、樹齢:推定1000年
地上8mから幹が分かれている
前回の参拝時は、確か夫婦杉の周りを歩けたのだが・・・今は無理!
根の保全でしょうね・・・
夫婦杉前から社殿を・・・
柿葺流造の本殿と覆屋
向拝を覗くと、ウサギ、龍と見える
前出の向拝「天井の龍」 右が拝殿側
右面より「天井の龍」を
右面から
妻飾り
左脇障子
右脇障子
尾垂木からの龍頭、木鼻
木鼻、持送り
青玉さん
この神社の西北に聳える三国獄の山頂に、播磨踊場という広い平坦な所があり、今も御手洗池という小池が残っている。そこに青玉さんが鎮座まし、斎祠されていたという。
青玉神社がこの地に創建された年代は定かではない。
境内の六本の多すぎは樹齢七・八百年以上かといわれ、又御神木(夫婦杉)は千年杉ともいわれている。これらの巨木から見て、神社が建てられたのは相当昔のことである。
休み石の謂われ、その昔、井ノ岡(猪の岡)という狩人が(のちに稲岡代明神として祀られている)、三国山に狩りに行った帰り道、背中が急に重くなり、ここ迄やっと辿りつき、動けなくなった。
この石に腰かけ、しばらく休んだ後、帰ろうと立ち上がれば背中が急に軽くなった。急いで村に帰り、この事を村の人に話した。村の長老がそれはきっと神様やと言った。それから村の人は口々に青玉さまを背負ってきたのだ。
ここに神様を祀れということだといって、その後この地を拓き清め青玉神社として祀ったそうである・・・案内板より引用
昼なお暗い森‥です!
天戸間見の森
地面すれすれにカメラ構えてLVでパチリです
兵庫県、丹波市、丹波篠山市、福知山市、豊岡市などの社寺の彫刻を眺めるべき訪れてはいますが、「天井の龍」は、大護神社、規模ははるかに違うが、福知山市の長安寺しか記憶がありません
明応二年(1493)、社殿焼失
宝暦十一年(1761)、社殿造営
安政三年(1856)、社殿焼失
今の社殿は万延元年(1860)の造営とある
彫刻師の銘は見つけることが出来ず、資料もありません
どなたかご存じであれば教えてほしいものです
山深い、巨木に囲まれて建つ社殿の「天井の龍」見事でした
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