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2019年12月12日

名草神社・・・国指定重要文化財・・ 兵庫県養父市八鹿町石原1755-6

2015年7月6日の名草神社、社殿の姿です
このとき、豪雪での被害をみて、唖然としたことを思い出します
2015年7月6日撮影

社殿の彫刻は、中井権次一統と思われるとの記述もありました
それはそれは、見事な彫刻でした
その時の記事です
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2015/07/blog-post_6.html

その時点で、工期は、平成26年6月から平成30年春までと記事に記していますが、新聞に完成記事は未だ、載らないので、おそらくまだ工事中と・・・
でも、冬、雪が降る前に拝見したく・・・やってきました


式内 縣社名草神社


名草神社・・・
石原山日光院(近世以降は帝釈寺とも)の創建は飛鳥時代と伝える
中世には妙見信仰の地として栄え、守護山名氏の庇護を受けていたが、天正5年(1577年)の豊臣秀吉の中国攻めの兵火で衰亡する
寛永九年(1632年)、それまで山麓にあった石原山の本坊日光院を奥の院の地に移した。
これが現・名草神社の社地である
明治の神仏分離の際には、日光院は山麓の支院・成就院の地に移された
そして、山上の妙見社を、養父郡の式内社であるが詳細は不明であった名草神社の社殿としたものである・・・Wikipediaより

       三重塔の奥から、参道の石段を登ります

落葉も踏まれていない様子です
訪れる人も少ないでしょう・・・

左の燈籠の傘部が復元されています(2015年7月6日時点で、落下していました)

お!・・・ と、しか云いようがないです

2015年7月6日時点の写真
・・・不思議ですね、構図は、全く同じです・・・
2015年7月6日撮影

拝殿
朱塗りの色も鮮やかです
拝殿は、曳家工法で、作業されたとあります

梁間二間、桁行五間、入母屋造、こけら葺き、元禄二年(1689年)です
拝殿中央には3.1mの土間の通路になっており、本殿に向かう人が通る構造、割拝殿
正面から見ると石垣の上に割拝殿で、石垣から前方に縁が張り出し、石垣の下から3.5mの柱で縁床を支える、懸造りです

通路天井
・・・化粧を施して、綺麗に蘇ってきています

前後違いますが、2015年7月6日時点の写真
2015年7月6日撮影

蟇股・・・彫刻はそのままですね

本殿の彫刻が、蘇ることを願いつつ・・・

拝殿横の巨木




社務所の彫刻

社務所前が現場事務所、5台くらい作業員さんの車がありました
ちょうど、昼食時でした

重要文化財 名草神社 本殿・拝殿「平成の大修理」


当初は、平成30年で終わる予定だったのですが、令和3年6月30日までの工期に延びたいうことは難工事か、発掘調査がね・・・難しいでしょうね!
総事業費約六億、そのうち、地元負担金三千万円・・・


これからの時期、積雪ですね
ここまで、登ってくるのも大変ですし、作業も、寒さとの戦いです
頑張ってください

建物、詳細

下山します
・・・名草神社駅・・・バス停かなぁ?

途中の見晴らしの良いところから、眺めます

日光院を上から眺めます・・・黄金の絨毯です

名草神社・・・修復、完成が待ち遠しいです・・・


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