中井権次一統の足跡を巡っています
中井権次一統作品集No48 兵庫県養父市十二所、満福寺、奥の院観音堂です
満福寺観音堂 大悲閣
新宮山の標高215メートルの位置ある満福寺観音堂・・・
現在の満福寺から350メートルほど山を登った場所です
ここは室町時代に、但馬地方の日下部一族という武士たちの信仰を集めて、満福寺が栄えた場所です
満福寺の観音堂は文政八年(1825)に建てられています
正面、三間(長さ12.3メートル)
側面、四間(12.3メートル)
向拝・・・大迫力です
兎の毛通しは鳳凰、屋根を支える桁材の上には、獅噛、その下には、龍の彫刻があります
龍の下にある虹梁には、池の水を表す波を彫刻し、龍の上にある桁には雲を彫っています
つまりこの彫刻は、池から昇った龍が天空に舞う姿を表現しています・・・
兎の毛通し 獅噛
大きく口をあけて玉を握る龍・・・躍動感があります
龍の背面 向拝内から撮影です
刻銘が・・・「彫物師 丹州柏原町住人 青龍軒中井権次正貞」
木鼻・・・唐獅子、漠
木鼻・・・唐獅子、漠
持送り
手挟み
養父市文化財では、中井権次正貞を下記のように紹介しています
中井権次正貞は中井家の当主の中でも特に優れた彫刻師で、丹波柏原藩のお抱え彫刻師です
龍の彫刻を得意としたことから青龍軒とも名乗りました
満福寺の観音堂は文政八年(1825)に建てられています。
この2年後、文政十年(1827)には進美寺観音堂が作られました
養父市には中井権次正貞が手がけた、「大杉の二宮神社本殿」、「関宮の関神社本殿」、「日高町の進美寺観音堂」などがあります
江戸時代後期、但馬から丹波地方の社寺建築を飾る優れた彫刻師として、中井権次正貞は活躍しました。
中井権次正貞の円熟した彫刻は、大変見事です・・・養父市文化財から一部引用
進美寺観音堂は、残念ながら山中・・・未だ、訪れていません
なんとか、来年の初夏の頃でも行きたいと思っています
現在の満福寺本堂、そして観音堂・・・
向拝の大迫力の彫刻は、何度、訪れて拝見するも、その迫力にいつも驚かされます
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