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2015年12月3日

東西寺・・・中井権次一統の足跡を巡って、兵庫県朝来市生野町!

兵庫県朝来市生野町口銀谷、東西寺・・・中井権次一統の足跡を尋ねます

その前に・・・
今日は、越知ヶ峰名水を汲みに走ってきました・・訪れた回数も、今日で5回目・・・
その越知ヶ峰名水への途中、銀の馬車道街道を走り、新野の水車など、訪れてきました・・・
水汲み終われば、北へ・・中井権次一統の足跡を訪れる予定です・・・

越知ヶ峰名水・・・

その越知ヶ峰名水のを汲む量も前回から100L越え・・
・・23L×2+ペットボトル2L×28本=102Lです・・・

我が家の水の消費もはやく、102Lが40日でなくなりました・・・

越知ヶ峰名水への到着が丁度、お昼・・・

そう、ランチタイムです・・

途中、スーパーに立ち寄り、弁当を購入・・・
今日は、紅葉を眺めながら・・この越知ヶ峰名水でお昼ご飯です
午前中は曇っていましたが、青空が見えてきました・・・


さぁ、「α君」に102Lの名水を積んで向かう先は、今年、4度目となる、生野銀山、口銀谷・・・
実は、この口銀谷町の寺町通りに、中井権次の足跡の東西寺があったのです!
しかし、過去三度とも見逃したので・・・本日、走ってきました・・・

東西寺・・・

宗派は浄土宗知恩院派
境内には徳川家康の尊像と歴代将軍の位牌が安置されています

元和二年(1616年)家康の没後、当時の銀山奉行、山川庄兵衛が現在の学童保育センター付近に御霊屋を建立、家康の尊像を祭祀して御宮と称し東照寺(後の玉翁院)に別当として堂主に当たらせ将軍の位牌を安置しました
これ以降、歴代の奉行、代官は将軍の位牌を安置することがならわしとなり、十四代将軍までの位牌が置かれています
昭和27年(1952年)玉翁院廃寺合併の際、東西寺に移されました・・説明板より引用
本堂・・・
向拝に・・・久しぶりにみる、中井権次一統の足跡・・・です
左、木鼻・・・
右、木鼻・・・

龍の裏・・左に彫物師・・ 右に明治十七年・・と銘が刻まれている・・
写真上の拡大写真・・・
・・・写真左下:彫物師丹波住中井清治良 橘正實とある・・・
・・・写真右下:明治十七年大暁山十六世・・と、読める・・発起人ともあるが・・・



東照宮・・・徳川家康の尊像と歴代将軍の位牌が安置されています
     
堂内をガラス越しに・・・すみません!
              


山門をみあげれば、由緒がありました・・・
東照寺山門・・・創建、元和二年(1616年)、享保六年、玉翁院を改称・・右、移管復元・・と、よめる
なかなか、姿の美しい、山門ですね・・・玉翁院の遺構として、移されたのです!


久しぶりの、中井権次の足跡でした・・・
これで、口銀谷の寺町通りの中井権次一統の足跡は完了です・・・
では、せっかく、口銀谷にきましたから、国登録文化財の建物を拝見しに行きましょう・・・

続きます・・・


参拝日:11月26日






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