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2018年11月8日

朝来市竹田駅周辺を巡ります・・No14、法樹寺・・兵庫県朝来市和田山町竹田955−1


朝来市竹田駅周辺を巡ります
・・天空の城の麓、竹田駅周辺と寺町通りを散策する歴史ロマンコース・・・です

寺町通りを歩きます
No.14・・・法樹寺

竹田城最後の藩主・・赤松広秀供養塔への道標

法樹寺




宗派 浄土宗知恩院派 見星山 法樹寺
天承六年(1578)現在に東町に開創。竹田城廃城後の慶長十一年(1606)最後の城主赤松広秀公の居住地であるこの場所に、生野代官所に寄進を得て移転した。寛文七年(1667)~貞享五年(1688)の六世住職代に現在の本堂を再建し、門前の石橋は享保八年(1723)に架橋されたといわれている
境内には赤松広秀公の供養塔がある。元は文政三年(1820)竹田城登山道に建立されていた三十三観音も移設されている
もともとあった薬師堂は竹田城の楼閣を用いて建立されたとされていたが、平成16年の台風災害により崩壊、薬師如来像のみ本殿に安置されている


門前の石橋・・・享保八年(1723)に架橋されたといわれている

本堂


梁上の龍・・・


恐らく、改修前の鳥衾、鬼瓦か?

西国三十三ヵ所 観音石佛


     紅葉には少し早いかなぁ?(11月1日現在)

竹田城最後の藩主・・赤松広秀(斎村政広)供養塔

秀吉の家臣、武勲により、天正十三年(1585)竹田城主となる
慶長五年(1600)関ヶ原の役にて西軍に組したことにより、徳川家康の忌避にふれ、同年十月、鳥取、真教寺にて自刃、享年三十九歳・・・


供養塔から、さらに上がると、広い敷地があります
・・・赤松広秀居館跡・・・


境内に戻らず、山を下ります
・・・塀の角の見張り番?

この道も、竹田城登山口です

天空の城の麓、寺町通りを四社を散策する歴史ロマンコース・・・全て拝見しました
なんと、いっても寺前の川に架かる、江戸時代の石橋群・・・一見の価値がありますね
いやいや、よかったです



朝来市竹田駅周辺を巡ります・・No13、勝賢寺・・兵庫県朝来市和田山町竹田953

朝来市竹田駅周辺を巡ります
・・天空の城の麓、竹田駅周辺と寺町通りを散策する歴史ロマンコース・・・です

寺町通りを歩きます
No.13・・・勝賢寺です

勝賢寺




宗派 浄土宗本願寺派 虎城山 勝賢寺
天正十五年(1587)向かいの金梨山の山麓、追間近辺にて創建され、竹田城廃城(1600)後、赤松広秀公 家臣・平位善右衛門屋敷跡
とされる当地に移る。
境内には第九代城主である桑山重晴の長男、一重夫妻の五輪供養塔がある




梁上は、阿吽の獅子ですね


木鼻・・・

おおらかな雰囲気の木鼻ですね

手挟み・・・蓮かなぁ?

桑山一重供養塔

第九代城主である桑山重晴の長男、一重夫妻の五輪供養塔です

山門の蟇股・・鬼が梁を支えています




2018年11月7日

朝来市竹田駅周辺を巡ります・・No11、常光寺・・兵庫県朝来市和田山町竹田950

朝来市竹田駅周辺を巡ります
・・天空の城の麓、竹田駅周辺と寺町通りを散策する歴史ロマンコース・・・です

寺町通りを歩きます
No.11・・・常光寺、No12・・・石橋です

黄色の壁には、白の五条引ですね・・・門跡?




常光寺

宗派 真宗大谷派 黒田山 常光寺
文禄三年(1594)対岸の金梨山のふもと(現在の東町)に開創。慶長十五年(1610)の大火で焼失し、同年秋にこの場所に移転した。
元禄十一年(1698)に現在の本堂を再建立し、門前の石橋は宝永四年(1707)に再架橋されている。
境内には初代城主太田恒光公の供養塔があり、但馬最古の記銘石灯籠もある


山門の龍

    山門の柱の説明書・・ここ常光寺のみ案内パンフがありました

本堂


木鼻


手挟み・・・龍ですね!



初代城主太田恒光公の供養塔




常光寺石橋・・・駅裏の四寺門前には、それぞれ江戸時代の石橋が架かっている。
常光寺の石橋は宝永四年(1707)架橋。
手記銘のあるものでは但馬最古の石橋である



江戸時代の石橋を眺めるだけでも、価値がありますね・・・



2018年11月6日

朝来市竹田駅周辺を巡ります・・No.10、善證寺・・兵庫県朝来市和田山町竹田949


朝来市竹田駅周辺を巡ります
・・天空の城の麓、竹田駅周辺と寺町通りを散策する歴史ロマンコース・・・です

寺町通りを歩きます
No.10・・・善證寺です


善證寺

宗派 浄土真宗本願寺派 慈雲山善證寺 
建武元年(1334)創建で、もともとは川向の金梨山麓にあったが、慶長の大水害で地形がかわってしまった。寛永二年(1625)の火災で消失し、僧玄哲の努力の元、慶安五年(1652)に現在の場所に再建。
宝永三年(1706)に現在の本同を再建立し、門前の石橋には、享保十七年(1732)の年号が刻まれている
大壇家平位氏はもともと赤松の家臣であり、竹田城滅亡後、城に残っていた建物群ならびに自邸を寄贈したとされている・・・説明板より引用



本堂

お! 太鼓の皮が破れているよ!

山門の木鼻・・・

境内からの石橋・・

享保十七年(1732)の年号が刻まれている

ふと、見上げれば・・?・・名前がわからない!

竹田城跡の麓の寺町通り・・・竹田川が流れ、そこには鯉が泳ぎ、道は石畳・・・
なかなか、よき雰囲気です