ページ

2015年12月19日

伊賀上野の町を散策します・・・三重県伊賀市!

伊賀上野の町を散策します・・・
左図:いがぐり第56号(伊賀上野観光情報誌)より、右図:Wikipediaより引用

赤四角部分を、ブラブラ歩いて散策しますが・・・
古図と比べて、ほとんど、町割、道・・変わっていないですね・・・外堀が無いだけやね・・


時はお昼時・・昼食で~す!

駅前ちょっと路地入ったおうどん屋さん・・繁盛してます!
そして、数々あるメニューから、忍者セットを・・
一応、説明聞いたのですが、すみません、覚えていないのです
お鉢から垂れ下がって?いるのが、イカのゲソのかき揚げ、その上はショウガの天ぷら・・それは覚えているのですが、それがなぜ、忍者セットか?・・すみません・・覚えていないのです
でも、ほそ麺で、美味しかったで~す!

ここで、疑問が・・・入ってくる地元の人、多分、常連さん!
なぜか、入口付近にある、すり鉢、スリコギ棒を持って、席に着くのです・・なんじゃ? この様子は・・・聞きました・・
各テーブルにおいてある胡麻をお客さんが自分で擦ってうどんに入れて、食するのです・・って!・・そして、天かすも、もち、無料です!


伊賀鉄道、伊賀上野駅・・・駅前!
おおぉ、忍者、「くのいち」の電車じぁ・・・ええなぁ・・・!
伊賀鉄道、伊賀上野駅・・・駅前ロータリーには、松尾芭蕉の像があります
東大手門跡碑・・・
その交差点には、忍者君、そして、向かいの銀行も、くのいち、俳聖殿のポスターが・・いいすね!
この通りは、大和街道・・・
関の西の追分で東海道から分岐し、加太峠を越えて、上野、島ヶ原を通り奈良へと続く街道。江戸時代には加太越奈良道と呼ばれていました・・三重観光より
東は・・・古地図にもあるように、現在も同じ・・上野天満宮!

菅原神社・・・
菅原神社・・・上野天神宮と呼ばれ、菅原道真公を主神とする神社です
天正九年(1581年)天正伊賀乱ののち藤堂高虎による城下町建設の際此の地に奉還され、城郭鎮守として祭られました・・・一部省略・・・
当社は寛文十二年(1672年)俳諧に身を立てることを決意した俳聖芭蕉翁が、その処女作「貝おほい」一巻を社前に奉納されて自らの文運を祈願されました
かかる由緒ある社として、いま市文化財「史跡」に指定されています・・・
案内板より引用
正面、楼門・・・市の文化財
境内より、楼門をみる・・・見事です!

拝殿・・
鐘楼・・市の文化財
鍵型(東→南→東→北→東)で回り込むようになっている、その道なりの菅原神社の土塀・・・ちょっと、記述がややこしいm(_ _)m
その土塀の鍵型に曲がる正面にある、下駄屋さん・・・
大人の修行・・と、あり・・下駄の歯が一枚・・天狗の下駄ですね!
ふと、足下みれば・・・いつものように、マンホール・・上野城と忍者君です!
うん?・・「うえのし」とありますね・・・
上野市は、三重県西部に存在した市。2004年11月1日に阿山郡及び名賀郡の3町2村と合併し伊賀市となったため消滅した・・・
・・市は伊賀市ですが、このままで大事に使いましょう(*^_^*)・・・

ここから、寺町へ入りますが・・寺町の備忘録ページは別途作成します・・・ので・・省略・・・

・・寺町から北忍通りを中之立町通りへ・・武家屋敷などあります!・・一直線ですね!
武家屋敷の北側の建物・・・いい雰囲気です
街灯に町の名が・・・「忍町」・・お店の装飾もベンガラ塗りか? 忍者もおるなぁ!
むらい萬香園・・・まちかど観光案内所でもあります・・・
このお店、TVで放映されていました・・そして、その紹介では、ここの先代?のご主人が、最後の忍者ということらしいですよ!

再び、大和街道、今の本町通りに戻ってきました・・・上野中町商店会へと、ありますね


ふと、横見れば・・・いつごろの時期の看板かなぁ?
砂糖卸業 
株式会社田中商店 
電話 五○六番、五○七番/
伊賀上野市西町・・と、ありますね!

いつごろの時期かなぁ?

三重県四日市市に電話開通したのが明治33年だから、その時代やね!・・多分、明治やね!
おとなりのビル・・・養肝漬・・宮崎屋さん、慶応元年(1865年)創業で製造・販売しているお漬物とか!
このビルと、田中商店さんの蔵との対比・・いいね!
     
       だんじり蔵・・・・・
        
花冠とありますね!
地図で数えると、九ヶ所あるようです!
大和街道を外れ、北へ・・突き当たり右手に、伊賀上野城西大手門跡の碑があります
        

西大手門跡から外堀通りの角に・・・明治時代の建物のような?
この、建物・・観光案内にはないのです・・・表札もよく読めません・・民家ですよね?・・多分!

交差点、横断歩道の道しるべには、「西大手門跡の辻」とあります・・・


国道25号線沿いに立つ、三中の本校舎(明治校舎)・・・・・現在は三重県立上野高等学校・・・

この建物は明治三十三年(1900年)十月六日に竣工した木造洋風建築で、県の営繕技術者の清水義八・信田悦蔵らの設計による
同じ意匠で同時に建設された二中(四日市)・四中(宇治山田)の校舎は戦災や火災で焼失し、三中(上野)の本校舎(明治校舎と呼んでいる)のみ現存する

・・・三重県有形文化財

グランドがあり、網越しにしか、見ることができないけど・・(*^_^*)・・後ろにお城が見えます!

「α君」の待つ、「P」へ・・・お城の石垣が左、右手は小学校・・・良い感じの道ですね!

これで、伊賀上野の町を大和街道を東へ、寺町通りから南へ、そして、武家屋敷、東へ・・
中之立町通りを北へ、又々大和街道へ出て、西へ、西之立町通りを北へと・・そしてお城の石垣沿い、東へ・・・一周しました・・

なかなか、いい町です・・通りが南北、東西へ抜け・・古地図見ながら探索ではないですが、よき散策となりました

天正九年(1581年)天正伊賀乱ののち藤堂高虎による城下町建設当時のままの町割、道を歩きました!
松尾芭蕉翁の生誕の地・・・松尾芭蕉翁関連史跡、施設は、訪れておりません・・・又の機会には是非・・・(*^_^*)

寺町へと、備忘録は続きます・・・・






0 件のコメント:

コメントを投稿