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2023年8月1日

7月の神社探訪・・・兵庫県加東市上田、大芋神社、本殿彫刻は中川利兵衛の世界です 

7月の神社探訪・・・兵庫県加東市上田、大芋神社です

ここ大芋神社の本殿彫刻は中川利兵衛の世界です


隨神門(切妻造 桧皮葺)

隨神門の蛙股の彫刻は鳥よけ網でよく見えませんが、獅子親子ですね

由緒書
大芋神社
社町上田七八三番地
祭神 天照大神 豊岩窓命 櫛岩窓命 合祀大歳神

由緒

文治二年(一一八六)、紀州熊野より若王権現を迎え祭り、一社を創立したのが初めと伝えている。
貞和二年(一三四六)になって、丹波多記郡大芋村(現篠山町)の櫛岩窓神社の分霊を祭り、大芋大明神の社殿を造立したという。 
社殿は、その後、文和三年(一三五四)、応永八年(一四〇一)、文明十五年(一四八三)永禄十年(一五六七)。正保元年(一六四四)に屋根替えをし、正徳元年(一七一一)大破のあと、再造営された。 
文化元年(一八〇四)、その社殿は惜しくも焼失したが、同四年 (一八〇七)三月、ふたたび社殿の復興をみた、今の社殿がそれである
明治七年(一八七四)二月、村社に列せられ、明治四十一年(一九〇八) 一月、無格社大蔵神社を合祀した。

「異説」
寛文年中(一六六一~七二)、丹波・櫛岩窓神社の神額が満水氾濫の止め流失、上田村に留まったのを村人は霊端露となし、祠殿を造り大芋神社と称し崇敬したという。(櫛岩窓神社由緒書)

「営造物」
 本殿(三間社流造 桧皮茸) 拝殿(入母屋造 瓦葺)  隨神門(切妻造 桧皮葺)
手水舎 石神 石鳥居等

「氏子」 社町上田・福吉・野村


拝殿 (入母屋造 瓦葺) 

本殿(三間社流造 桧皮茸)

向拝、梁間の彫刻

なかなか見応えがありますが、なにせ撮影角度が難しい!

木鼻

手挟み

左面



      左脇障子、背面
      この右下隅に刻銘があります


彫刻師 大坂 中川利兵衛 藤原定八
先人は、中川利兵衛 藤原定八(水)と記しているが?


       右脇障子背面

右面



手挟み

木鼻

隙間から本殿前の狛犬と石灯籠(文化八年・1811)



桁隠し

神社前で見つけたマンフォール
・旧社町の町の鳥メジロと町の花ヒラドツツジをデザインしたもの

この大芋神社の撮影のため、二度訪れました
一度目は夕方で、本殿背面が西、そのため、本殿が暗く写真は撮影できたのですが・・・
そして、二度目は午前中、お昼前で、思惑どうり、撮影できました
拝殿の屋根の陰で分かりますが、太陽は真上ですね
やはり、神社撮影は、夕方はだめですね!


好きこそ、走り回りますね!
暑かったですがね


追記:由緒書に登場する、延喜式明神大社、櫛岩窓神社

もう一度、訪ねてみよう・・・


追記:コメントをいただき、刻銘についてご指摘いただきました
刻銘は「中川利兵衛藤原定永」とのことです
知識不足が露呈いたしました
















5 件のコメント:

  1. 初コメント失礼します。おそらく「中川利兵衛藤原定永」と思われます。肝心なところで割れているので、読みづらいですよね(^_^;)

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    1. お立ち寄りいただき、ありがとうございます。
      ご指摘、ありがとうございました。
      未熟故、お恥ずかしいかぎりです。
      記事を訂正記述させていただきます。
      また、よろしくお願いいたします。

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    2. いつも楽しく拝見しております。私も浪花彫刻メインにはなりますが、彫刻社寺を巡っておりますので、今後ともよろしくお願いします。

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    3. 当方こそ、今後ともご指導、ご指摘、よろしくお願いします。

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  2. このコメントは投稿者によって削除されました。

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