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2023年8月4日

兵庫県丹波市立市島民俗資料館・・・三ッ塚廃寺跡史跡案内ツアー

本来の目的は、三ッ塚廃寺跡史跡案内ツアーだったのですが・・・
いつもご指導いただいています先生の解説で三ッ塚廃寺跡史跡案内ツアーですが、夏、暑いし、もう二度も来ていますし、今回は資料館内で説明をお聞きすることに!

兵庫県丹波市立市島民俗資料館は、国指定史跡・三ッ塚廃寺跡に隣接する資料館で、三ッ塚廃寺跡や天神窯跡で出土した考古資料、梶原遺跡から出土した考古資料を中心に展示しています

兵庫県指定文化財 認定書

兵庫県指定文化財
梶原遺跡出土の犂(カラスキ)

なんと、梶原遺跡出土 犂(からすき) 飛鳥時代のものです
全国で、最古級で、これだけ揃っているのは、この犂のみとのこと


どこか懐かしい絵柄です

三ッ塚廃寺天神窯跡
三ツ塚廃寺天神窯跡
この三ツ塚廃寺天神窯跡は、白鳳時代 (7世紀後半) に創建された古代寺院三ツ塚廃寺の屋根に葺かれた瓦や鴟尾などを焼いた窯の遺跡である。 昭和4955年に発掘調査がおこなわれた三ツ塚廃寺跡とともに、この天神窯跡も国の史跡として指定され、市島町が保存と管理をおこなっている。
平成9~11年度に、3ヶ年計画で天神窯跡の本格的な発掘調査と 整備がおこなわれた。発掘調査によって、西に伸びる尾根の北向き 斜面に4基の窯跡が発見された。 西から、1号窯、2号窯、3号窯、 4号窯が並んでおり、傾斜地をトンネル状に掘り込み、その中央部に焼き物を詰めて下部から火を焚く、窖窯と呼ばれる構造をしている。 いずれも、天井は落ち込んで壊れていたが、 床面や側壁がよく残っており、その構造を復原することができる。 1号窯と2号窯は、主として瓦を焼いており、瓦を置くための焼き台として、階段をもう けていた。 3号窯は小型の窯で、瓦葺き屋根の棟の両端を飾る鴟尾 を焼いていた。 4号窯には階段がなく、 須恵器と呼ばれる古代の焼き物を作る窯の構造をしており、 須恵器のほか2個の鴟尾を焼いて いた。 また、4号窯の東側には、V字型の断面をした溝が掘られて いる。これは4号窯が操業する際に、湿気を抜くためのものであろう。 これらの窯は、世紀の第4四半期(675~700年)ごろに、あいついで瓦や鴟尾などを生産し、三ツ塚廃寺に供給していたと考えら れる。 天神窯跡は、古代寺院に付属して焼き物を生産した貴重な工 房の遺跡であり、文献史料の少ない古代の氷上郡の歴史を解明する ための文化遺産として、埋め戻しのうえ保存されている。


蓮華文軒丸瓦

  そして、天神窯跡 4号窯出土 鴟尾(しび)も展示されていたのですが、写真ありません?
次回にきちんと撮影したいと思います


三ッ塚寺はこのような風景だったのでしょうね

三ッ塚廃寺跡は、竹田川右岸の丘陵上に位置する白鳳時代に創建された寺院跡である。
中門及び西門はいずれも2本柱の堀立柱であり、以前から三ッ塚と呼ばれていた遺構は、東西両端の2基が心礎を持つ東塔跡及び西塔跡で、中央の基壇が金堂跡であることが判明した。
また東塔の北東には、1基の土壇が見られ、講堂跡と推測されている。更にこの北方には北門跡と推測される遺構とこの寺院と密接に関連する建物群が発見されている。
三ッ塚廃寺跡は、上述のように特殊な伽藍配置をとるだけでなく、遺構にも極めて強い特色があり一般的な白鳳時代寺院とは異なった性格を持つ重要な寺院跡である。この寺院使用の屋瓦、汁器を焼成した窯跡(天神窯跡)を併せて国の史跡として指定され41,976平方メートルを保存地域として買収し、昭和53年度より史跡公園として整備し、昭和61年度に完了した。天神窯跡については、平成7年度から整備に着手し、平成11年度に完了した。
・・・丹波市資料より

いままで二度、三ッ塚廃寺跡にやってきました
一回目は、2016年5月5日
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2016/05/blog-post_6.html

広大は史跡公園を散歩するのも気持ちのよいものです
まぁ、夏は避けましょうね

秋頃、ゆっくりツアーに参加してみようかなぁ?
うん? ツワー、そのときまで開催しているかなぁ?








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