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2023年3月6日

柏原歴史資料館企画展「中井権次と柏原藩」講演会終了後、柏原藩陣屋で刻銘拝見いたします

企画展「中井権次と柏原藩」の講演があり、予約して受講いたしました

今回は、中井権治正次の刻銘、新発見なのです

 講演会が終わり、皆さんは歴史資料館で説明を受けられますが、前回説明を聞いていますので、単独行動で、柏原藩陣屋へ行きます
もちろん、入館料210円は必要です


今回の新発見の説明箇所(下、赤枠)

安政五年(1858)に建立された柏原藩の藩校崇廣館。
その部材の虹梁には、「中井権治正次」の銘があり。
中井家所蔵の「覚帳」を確認すると、同年に「御殿様 覚門所」の記述がありました。
「覚門所」は「学問所」だったのです。




では、柏原藩陣屋で新発見の刻銘拝見いたします

ひとり、柏原藩陣屋へ
・・・北面、桧皮葺の屋根は雪が溶けていませんね、エエ感じです

まさに独り占め!だれもいません

玄関

・・今回、丹波市学芸委員さんに撮影の許可を頂いております‥

玄関の裏手、長柄の間

では、独り占めで、じっくり拝見します

「崇廣館部材と中井正次の銘」
崇廣館は、建物の用途が変化しただけでなく、増築改築や移築という変化も経て、平成十九年(2007)に解体されました。その時の報告によると、「創建・ 安政五年(1858)、二階増築・明治十五年(1882)、移築・昭和八年(193 3)。創建時は桁行九間・梁間五間の平屋。明治 期に同規模の二階を載せ、一階東側に桁行五間・ 梁間一間半の平屋を増築、桁行二間・梁間二 の入母屋構造の玄関を有する」とあります。さ らに、柱や梁の部材についての報告の中で「特筆すべきは、2と十~十三の梁(図 部)として虹梁が使われ、上部に彫物師中井権治正次の銘があって、虹梁が元からあったのか、他の建物から持ち込んだのか定かではないが、2で使用されていることから明治期に持ち込まれたと見るのが妥当だろう。ただ、建年次の安政五年と符合するのが、解釈に悩 むところである。二間の虹梁を切断して単なる梁として使用していることから、当時の意識が低かったと思われる。改変されていないと思われていた玄関屋根も改変跡が見受けられ、一部転用材が使われている」と記されて います。


      新発見の刻銘と年号
・上段
彫刻を大きく切断された部材ですが、上部に写真のような銘が入っています。
まず年号です。「安政五戊午歳四月吉日」とあります。午と歳の部分は破損していますが、安政五年(1858) の干支は戊午ですので、間違いないでしょう。
同じ部材には、氏名も彫っています。 「中井権治正次」です。 中井正次は中井家過去帳などにより、文政六年(1823)に生まれ、明治十六年(1883)に亡くなったことがわかっています。安政五年時には三十五歳だったことになります。
ところで、氏名の上にも文字がありますが、破損が大きく解読は難しい状態です。 この箇所の文字の推測や、「権次」ではなく「権治」と入れている事などについて、他の彫刻に刻まれた銘との比較をしておきたいと思います。

・下段
左の写真は社寺彫刻研究家の白石雅之氏が撮影されたもので、銘に関するご教示もいただきました。(1)では彫刻の中に溶け込むように「正次」とのみ入れています。 (2)も「正次」ですが、その前に「丹栢城」と入れています。 では 「丹栢城」とは何かというと、(3)を見ると「丹州栢原城下住」と入れており、 「丹栢城」は「丹州栢原城」であることが確認できます。 (4)でも「丹栢城下住」 とあります。 代々の中井権次家の中でも特徴的です。さらなる探求が必要で すが、これらの銘からは、正次が柏原藩とのつながりに喜びと誇りを持っていた と感じられます。 (5) は明治初期の作品の銘で「氷上郡柏原住」としています。 なお「権次」については「次」「権治」と、両方の文字を使っています。


展示の様子

崇廣館 虹梁
崇廣館は、陣屋北西隅 (現・兵庫県丹波県民局 テニス コート) にあった藩校。 安政5年に建てられた。
この虹梁には、「中井権治正次」の銘があり、柏原の彫物師である7代目中井権次正次が彫ったものであることが分かる。 また、中井家に伝わる 『彫物細工萬覚帳』にも「殿様 覚(学)問所一こうりう(こうりょう) うづ雲 波」とあり、この記述とも合致する。


虹梁

さわるな!!
・・左:波 右:渦

 「中井権治正次」の銘
・・この刻銘では「治」が使われていますね・・
余談・・・
Nikon Z7には、フラッシュが付いていませんので、文字の深さ、影を付ける意味で、スマホのライトを点灯させ、パチリです
スマホのライトがなくても、優秀なカメラなので、ちゃんと写るのでが、今回は実験です


安政五年(1858)
・・・「安」が写っていない! 失敗、残念 左手にスマホライトをかざし、右手で、live撮影

切断された虹梁(右端)
・二間の虹梁を切断して単なる梁として使用
転用材として使われた当時は、中井権治の彫刻として認識、知識が乏しかったのか?知らなかったのか?
ただの部材として切断したのでしょうね

彫刻は深く彫られ、素晴らしい・・・
うず雲とありますね


中井権治正次の新発見の箇所を独り占めして、拝見いたしました


陣屋玄関からみる長屋門

長屋門・柏原藩陣屋の様子は次回に・・・

新発見・・・お見事でした


そして、その時に申し込んでいた、「企画展 中井権次と柏原藩」の冊子が届きました


そして、その送付封筒の丹波市料金後納郵便のデザインは・・・
中井権次の龍ではなく、丹波竜でした
そりゃ、選択は「丹波竜」だろうね!!(苦笑)



追記:文中文言は説明板などから一部引用いたしました
柏原藩陣屋内の写真撮影は、丹波市学芸委員さんに撮影の許可をいただいております











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