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2023年3月11日

姫路城 菱の門・2階櫓部 特別公開です

姫路城 菱の門・2階櫓部 特別公開が2月11日~3月12日まで公開されてます
2階櫓部の公開は、初めてです 
冬の特別公開です

新聞記事でみつけ、天気のよい日を選んで、いざ、姫路城へまいります

定番? 私が姫路城に行き、最初に訪れる展望台が「イーグレ姫路」です
今日もよき眺めです


春霞か?花粉か?

今回の目的の菱の門、背景は西の丸

さらに望遠で、菱の門を・・・
・・・漆喰を塗り替えたか? じつに白く美しい!
修復工事が2021年後半ぐらいから始められたようです
姫路城の入場料1000円です

菱の門を見上げます
姫路城に現存する最大の城門

観光客の方々が多いです
人が映りこまないよう撮影は無理ですね

門番所
菱の門の大きな門扉の左手 (西側)には潜戸がついています。ふつうはこの戸から
出入りするので、耳の左側に番所があって、適宜門番が監視しました。日常的には
門扉を開けて人が出入りすることはありませんが、城主が天守に登るような時には
開放します。城主はこの門で駕籠などの乗物から降りて、あとは徒歩となりました。
そういう場合にはこの門の出入りを厳重にして、姫山を警備する必要がありました。


特別公開 @200円は別料金です

特別公開  菱の門と門番所

菱の門は、 姫路城内に現存する最大の城門です。 築城当初の城主の屋敷は備前丸にあ り の門は、大手門に比肩する大事な城門だったといえるでしょう。 門の形式は門です。 1階の通路部に門を設け、 太い2本の柱に壺金具で大扉を 吊っています。 鏡柱の上の冠木には木製の花菱が付けられ、門名の由来となっています。 また、門の左右にはそれぞれ「門番所」 番所 西側の部屋) と通称 「馬見所」 (東側の部屋) が置かれています。
「門番所」は大きな門扉の横に付く脇門に面していて、門の出入りを監視しました。
また「門番所」 内南側の壁は石垣になっており、 西の丸東辺石垣の北端に当たります。 その石垣が門の建物に組み込まれているということは、 本多忠政が西の丸を造成したと にの門も最終的に現在のかたちになったとみることができます。


菱の門、修理銘

二階へ上がります



「菱の門二階」
菱の門の2階は櫓で、櫓の南面に華頭 (火灯) 窓と武者窓を中央に、 東寄りに出格子窓を 配置しています。 華頭窓と武者窓は黒漆塗の窓枠や格子に飾金具を打って装飾をしています。さらに、櫓の外壁面は真壁造りで、柱や舟肘木、貫などが壁体の中に隠れることなく 外側に見え、とくに南側からの見栄を意識して建てられています。
2階内部には、門を入って西側の雁木を登り、西側の華頭窓の横にある入口から入ります。 入口は城外からは土塀で隠れて見えません。
櫓内部は東室・中室・西室の3室に分かれます。 主要な城門なので武器が保管されてい たとみられます。 西室と中室では床面の南端 (通路の真上) に石落し用の蓋が切られていて、 頭上から攻撃できる仕掛けとなっています。 この石落しは外から見ても存在に気づかない ので、「隠し石落し」とも呼ばれます。



菱の門、二階から内部からみる、黒漆、飾金具付きの格子窓と火灯窓


西室と中室では床面の南端 (通路の真上) に石落し用の蓋が切られています
石落とし・・・「隠し石落し」とも呼ばれます

火灯窓から下を覗く

新調?された飾り金具
格子窓から



初公開・・・河合寸翁が愛用した硯 (元鼎硯) 

姫路城主酒井家家老の河合寸翁 (道臣) が愛用した現で、 石材は不明です。 墨堂 (墨を磨るところ)はかなり摩耗しています。 硯箱は黒漆塗りで蓋の文字には金を使用し「元鼎硯」と書かれています。 これは、硯背(硯の裏)に刻まれた銘文「漢元鼎」に由来するものです。
「元鼎」は中国・前漢の武帝の時代の元号で紀元前 116~111 年にあたり、この硯の来歴を示唆していますが、 どういう経緯で寸翁の手元にたどりついたのかはわかっていません。 また、一説には「元鼎」は寸翁の実名でもあり、この硯に由来するといわれています。 しかし、 「元鼎」 が彼の実名だとする確かな史料は見つかっていません。 寸翁の実名として 確かな 「宗鼎」 (読み方は不明)あるいは「鼎」と混同している可能性があります。
この硯には黒漆塗り硯箱のほかに、 2つの桐箱で二重に梱包されています。 外側の桐箱の蓋裏には、寛政9年 (1797) 柴野栗山 (松平定信のもと寛政異学の禁を進めた幕府の儒者)の撰んだ漢詩が、 柴野の弟子であった屋代弘賢 (『寛政重修諸家譜』 の編纂に従事 した幕府の祐筆)によって書き記されています。
こうした幕臣との交流関係をみると、寸翁の行った経済政策は、彼の幕府人脈に負うと ころが大きかったのでしょう。




特別公開  黑漆塗長持

菱の門の櫓部の東室に置かれていた長持。 全体を黒漆塗りとし、 長辺には直径30cmほどの大きさで、平蒔絵の葵紋が2つずつ描かれています。
この長持は、酒井家資料を収納・保管していたものの一つです。 酒井家資料はもともと酒井家が所有していた近世・近代の文書等の総称で、 姫路市が酒井家から資料を受け取る 際、東京からこの長持に入れたまま姫路まで運ばれたようです。 酒井家所有の長持で葵紋が描かれていることから、 酒井家と徳川家もしくは松平家とのつながりがうかがわれます。その具体例として、 両家間の婚姻が考えられます。 安永3年(1774) には酒井忠以が高松藩松平家から嘉代姫を、天保3年(1831) には酒井忠学が将軍家から徳川家斉の 25 女・喜代姫を迎えています。 いずれかの嫁入り道具だったのかもしれません。



格子窓から・・・
・奥は「リの一の渡櫓」その奥は「チの櫓」

「いの門」をみる

櫓内部は東室・中室・西室の3室に分かれます。 主要な城門なので武器が保管されていたとみられます。 

中室、石落とし付近から西室を・・・










さぁ、降ります

菱の門は、2017年は公開されましたが、今回の重要文化財、櫓門、2階櫓部は初公開ということで、大変貴重な体験をさせていただきました

姫路城の特別公開は、開催情報があれば、必ずやってきます
たしか、西の小天守には、入ったことがないですね

またの特別公開を楽しみに・・・











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