ページ

2017年9月15日

但馬国分寺跡・・・国指定史跡・・兵庫県豊岡市日高町国分寺734

中井権次一統の足跡を巡って、兵庫県豊岡市を走ります・・・第2回目です・・
北近畿豊岡道が、日高神銀高原まで延長され、豊岡まで、我が家から時間が短縮されます
しかも、途中の、「青垣トンネル」は有料ですが、あとは、無料・・・ありがたいことです・・・

到着した、日高神銀高原ICから、見た、現在のトンネル工事の様子です・・・

中井権次一統の足跡を巡って、売布神社へ・・その麓に但馬国分寺跡・・・・
・・・売布神社は、左上、山の中・・・

まずは、但馬国分寺跡を・・・国指定史跡です!


写真上、説明板より、引用・・・

史跡 但馬国分寺跡・・・文部科学省
国分寺とは、奈良時代の天平十三年(741)、聖武天皇が国家の安泰などを願って諸国に建てさせたものです
文化十一年(1814)に但馬に測量に訪れた伊能忠敬は、「国分寺旧跡田地中に柱の敷石三つあり」と記録していて、江戸時代にはこの地が 国分寺跡として知られていたことが分かっています
昭和四十八年(1973)に始まった発掘調査では、金堂・塔・中門・回廊などの主要伽藍や、寺域東南隅を区画する築地塀、井戸なども見つかっていて、寺域は一辺160mほどであったと考えています
建物では、大量の瓦や土器のほか、全国の国分寺では初めてとなった木簡も出土しています
木簡には「天平神護三年(767)」「神護景雲二年(768)」などの年号や、「院内」「西倉」「醤殿」「鋳所」といった施設名が記されていて、国分寺の造営過程やや寺院経営を考える上で、全国的にも貴重な資料となっています
尚、但馬国分寺跡から出土した資料は、但馬国府・国分寺館で展示・保管されています・・・豊岡市教育委員会


塔跡礎石

塔跡心礎

金堂跡

講堂跡
回廊跡
GoogleMapの写真より・・・この一帯が、但馬国分寺跡です

そして、現在の但馬国分寺・・


境内にも・・・南大門礎石・・・


國分寺跡と云えば・・・丹後國分寺跡、2017年6月30日、訪れましたね・・・
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2017/06/blog-post_30.html


奈良時代の天平十三年(741)に、ここに伽藍が建ち並んだ姿を想像するだけで、楽しいですね・・

恐らく、発掘されるまでは、畑、民家? その下に大量の瓦や土器が眠っていたのですが、興味が無ければ、ただのゴミですけどね・・・(>_<)




0 件のコメント:

コメントを投稿