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2017年3月26日

国指定史跡 伊丹廃寺跡・・・伊丹市緑ケ丘4・5・7丁目

時折、迂回する道沿いに、右手に、陸上自衛隊そして、左手に、史跡 伊丹廃寺跡を見ながら通過しています!
いつもなら、帰路、しかし、本日な往路・・・ちと、よってみようかと・・ね!!



「α君」、「P」する場所がね・・・道幅狭く・・・ちと、困りましたが、なんとか・・m(_ _)m

史跡 伊丹廃寺跡・・・復元された北門です!

竹藪に覆われた案内板・・
・・・史跡面積 20,004.78㎡、白鳳時代の法隆寺形式の伽藍配置をもっている。現在、伽藍の中心部には、金堂と五重塔の基壇を復元整備しています・・と、あります

国史跡 伊丹廃寺跡・・
昭和四十一年三月二十二日 国指定
古くからこの地に古代寺院があったということは、伝説として知られており、礎石や瓦など も発見されていた。
昭和三十三年春、耕作中に水煙の残欠が偶然にも発見されていたことから、にわかに考古学上の感心が たかまり、伊丹市教育委員会と甲陽史学会によって発掘調査が行われることになった。 以来、八ヶ年にわたる調査の結果、幻の寺の全貌を明らかにすることができた。 東に金堂跡、西に塔跡、これをめぐって廻廊跡、さらに西門、北門跡が確認され、また、自衛隊伊丹駐屯地内に講堂らしい遺構も認められた。
これによって、奈良の法隆寺と伽藍配置や規模がほぼ同じ寺院で、奈良時代前期の建立と推定されるに至った。
水煙・瓦・風鐸・九輪・塼仏等の出土品(兵庫県指定文化財)は伊丹市立博物館に保管・展示されている
・・・案内板より引用


金堂跡の基壇・・・
・・・東西20メートル,南北16m で,地覆に塼を敷き,その上に栗石と瓦とを交互に積み上げるという特色ある技法を用いています。南面左右に2基,北面中央に1基の階段を設けています。
礎石があった場所でしょう・・・礎石は早くに遺跡から持ち出され、あちこちの庭園の庭石に使われたりしていました・・と!!

塔跡の基壇・・・
・・・一辺12.7mで、地覆から半截した瓦のみで積んでいます。階段は南面に1基付けています



長年? 見てみたいと、思っていましたが、ようやく、拝見出来ました・・・
公園として、使われているようですが、よく、手入れされています・・・(*^_^*)

よく、発見されたものですね・・・


さて、史跡 伊丹廃寺跡の講堂は、現在の史跡公園北側の道路と陸上自衛隊中部方面総監部の敷地にまたがっていました・・と、ある!

道路を挟んだ向かいの、陸上自衛隊中部方面総監部、伊丹駐屯地をちと、見学してみたい・・なぁ!

さて?・・・・(*^_^*)







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