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2016年5月25日

芹田神社・・・中井権次一統の足跡を巡って・・・兵庫県丹波市氷上町鴨内!

延喜式神名帳 山陰道 丹波國 氷上郡 十七座の一つ、芹田神社を訪ねます
勿論、中井権次一統の足跡でもあります・・・丹波市青垣町佐治の八柱神社から、加古川を越えて県道282号線を東へ・・

着きましたね・・・うん? 鳥居の横に、軽四が両ドア開いて、停まっているなぁ!
その場所に「α君」を「P」したいのだが・・・仕方ない、諦めるか!
と、いうことで、「α君」は路駐して・・・
休憩中か? 作業中か?・・この軽四は?・・・末尾に・・(*^_^*) 
二の鳥居・・左に見える、赤い鳥居は・・後述、参道を進みます
舞殿への石段は改修されているが、右下に石碑に安永八年(1779年)の文字がよめる
左の石段と同じだったのかもね

延喜式内芹田神社由来の記・・
時維元禄の頃、この辺を豊岡県丹州由良村の鴨内村と呼んでいた、当所初代の庄屋を六兵衛という人が務めた、その頃由良の(今の北由良)に別所豊後の守という士族あり一円を治めた。 偶々元禄十三年(1700年)元旦のこと、早朝降り積もった大雪の中を白馬に乗り六兵衛を尋ねられて「この村に熊野大権現をお祀りしているか、実は昨夜夢枕に立たれ『この村に社を建て祀ってくれ』とのお告げがあった」と申された、
そこで六兵衛は「社祠はないが手洗鉢所に大きな石を立てて熊野三社大権現様と村人が崇拝しております」と申し上げた。早速豊後守は六兵衛を連れて山を上って見ると不思議にも一カ所だけ雪が無く地面が露出していたのであった。 豊後守は「ここだ、ここが神のお告げの所である」と言って六兵衛に神殿の建立を強く要請されて帰られたのであった。六兵衛は早速村人を集めて相談し神殿の造成に取りかかった。当時としては多くの資財と人力を費やしての大事業である。 六兵衛自らは周辺の所有する山林七尾七谷(約3町歩)を寄進したのである。これが今の本社殿と宮の谷風致林である。 本社殿の造成と共に蔵王権現、ご神木〔天照皇大神)、瀬戸宮、八幡宮、貴船宮、山の神、天王宮、正一位稲荷大明神を合祀された。 別に秋葉山社、大峰山社は芦田宗左衛門氏が祭祀された。本社殿の完成は元禄十五年(1702年)と本社殿棟札に残っている・・・案内板より引用

覆屋の壁面の案内板

江戸時代は「熊野権現社」と称していたらしい・・・その時の神額かなぁ?
社殿です・・覆屋で護られています

主祭神は、高雄神尊   本殿は流造銅板葺・・・

龍、左上を睨んでいますね

社殿左側の境内社

社殿右側の境内社
御神木

社殿前の石燈籠・・元文五年(1740年)とよめる

右手の山手に稲荷神社が・・
下ります・・しかし、めちゃ、急な石段・・数えました、78段・・確か?

鳥居前の石灯籠? 石碑? 享保十四年(1729年)と読める

この下は、中井権次一統の足跡です
以下の木鼻、手挟みは、作風が異なるので、中井権次一統ではないでしょう
手挟み・・しかし、この彫物は、なんでしょうか? 初めてみました


最後に、軽四の件・・稲荷神社から、急な石段を下りるとき判明・・
男女が昼寝?していました

いやいや、なにか、不思議な神社でした・・・
関係ないか!、軽四は・・・



参拝日:5月19日





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