ページ

2015年2月8日

仁徳天皇陵古墳・・・大阪府堺市!

仁徳天皇陵古墳・・・誰もが知っている?・・日本最大の前方後円墳・・・

大阪府を商いの場所として、堺市も商圏として・・仁徳天皇陵付近を走って、はや、数十年・・
国道310号線沿い・・堺市から東へ向かう右手に見える小さな山・・仁徳天皇陵とは知ってはいるものの、正面から参拝することもなく・・・・

今日、初めて、仁徳天皇陵古墳を・・・百舌鳥野の古代文化遺産をたずねて・・・です!
堺市観光協会にていただいた、パンフ・・2種の表紙です・・・「世界文化遺産を大阪に」・・!!

さぁ、まいりましょうか・・・・! 大仙公園の「P」に「α君」を停め・・・仁徳天皇陵のみで終わるのであれば、古墳の前に「P」はありますが、駐車できる台数も数台!・・・大仙公園もウロウロしたく・・・・

その古墳の前「P」に立つ、案内説明板・・・・正式名称、仁徳天皇百舌鳥耳原中陵・・・案内板より・・・
我が国の前方後円墳として最も大きいのが、仁徳天皇陵です
墳丘は全長480m、前方部の幅305m、後円部の直径245m、周濠を含めた東西の長さ656m、南北の長さ793m、周囲2718m、面積464,124㎡となっていて、その大きなことから大仙陵と呼ばれています・・正式には「仁徳天皇百舌鳥耳原中陵」と、言います
日本書紀によると、仁徳天皇67年の冬10月5日に河内の石津原(堺市石津町~中百舌鳥町一帯)に行幸して陵地を定め、同月18日から工事を始めました
陵名の由来は、陵墓造営中に野から鹿が走り込んできて絶命。その鹿の耳の中からモズが現れたことから地名を「百舌鳥耳原」と名づけたと記されています
3段に築造した前方後円墳で両側に造り出しをもち、その墳丘をめぐって3重の周濠がつくられ、その外側に12の陪冡がつくられています 墳丘に周濠となっている所から土を運んだと考えると、毎日1000人が働いて4年かかると計算されます。そのうえに、墳丘に並べる葺石の運搬、20000個以上の埴輪の製作と運搬、中堤の築造、陪家の造営など加えると、莫大な労力がついやされたものと思われます
徳川時代の中頃までは、陵墓の管理が充分に行われていませんでしたが、寛永5年(1852年)ときの堺奉行川村修就はこれを憂いて後円部上にあった勤番所を裏門に移し、天皇を葬ったと思われる後円部200坪に高さ3尺の石の柵を設けて、陵内を整備したと伝えれています
明治5年9月、前方部正面の2段のやや上がくずれ、立派な石積みの石室が発見されました
長持型石棺というすばらしい石棺と、石室面の間から金銅製の甲冑・刀剣の断片20・ガラスの椀などがみつけられましたが、もとの通り埋めたといわれています。この石棺と甲冑を精密に写した図が残っていますので、相当、具体的に知ることができます・・・・

因みに天皇、皇后、皇太后の墓は「陵」、その他の皇族の墓は「墓」、皇族の墓の可能性のある墓所を「陵墓参考地」・・日本全国に188の陵、552の墓、46の参考地・・・宮内庁管轄である

では、拝所へ・・・・
正面です・・m(_ _)m
周濠・・・写真左下:正面に向かって右側   写真右下:正面に向かって左側
周濠の周りの遊歩道・・・道標が現在地から正面までの距離を示しています・・合計2850m・・・
ウオーキング、ランニングをされている方が多く・・・素敵な遊歩道ですね!
仁徳陵・陪冡の復元模型・・・
模型を撮影するにも斜め上からでもデジカメ、入いりませんね・・・m(_ _)m


古墳は・・全体像が、航空写真しか見られませんね・・ここは出番・・GoogleMap・・・

さぁ、仁徳天皇陵の前の大仙公園へまいりましょう・・・・




0 件のコメント:

コメントを投稿