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2015年2月19日

元伊勢外宮豊受大神社、元伊勢三社巡り・・京都府福知山市

JR西日本の、「西Navi」 2015年1月号・観光パンフに・・初詣の場所として・・「元伊勢内宮皇大神社」の紹介がありました・・・

ググってみると・・福知山十景、元伊勢三社があります・・

福知山城から、府道55線、国道175号線所謂、宮津街道を走り、JR北近畿タンゴ宮福線を右手に見ながら、途中、大江駅を過ぎて、府道9号線にはいると、僅かな距離で右手に・・・元伊勢外宮豊受大神社があります・・・

元伊勢三社・・・元伊勢外宮豊受大神社、元伊勢内宮皇大神社、天岩戸神社の総称です・・・と!

元伊勢外宮豊受大神社・・・
丹後地方へ天下った農業の神様「豊受大神」がまつられた神社で、伊勢神宮外宮の元宮と言われています・・・
ググってみるが、今一よくがわからんのです・・当社についての古い資料は何も残されていないらしい・・・

では、元伊勢とは、Wikipediaでは・・・三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所・・と、ある!・・

で、いただいたパンフ鬼の里、ぶらり観光マップより・・・
元伊勢の由来・・・・
当初の伝承によれば、第10代崇神天皇の39年、大和笠縫邑から天照大神の御神体である八咫鏡を4年間お祀りした丹波吉佐宮の旧跡といわれ、その後全国を転々と移動した後、54年後に今の伊勢神宮の地に正式に鎮座されたとされることから、古来より元伊勢内宮皇大神社として西日本ッ各地の崇敬を集めて来ました。又、元々丹後地方に天下った神様である豊受大神をお祀りしたのが外宮で、雄略天皇の22年に天照大神の夢告によって、三重県の現在地に移転されたとされており、以来ここを元伊勢外宮豊受大神社といいます・・・・

しかし、元伊勢・・を、名乗る神社・場所が多くのあるということも・・・・私感!

それはそれで、伝承で、ここ、元伊勢外宮豊受大神社・・伝承地の一つして、参拝いたします・・・・

宮津街道沿いの参道入口は閉鎖?・・さらに進むと奥に「P」らしき入口があり・・・奥に社務所、「P」があります・・ここが、現在の参道?
その小高い山は舟岡山というらしく・・そこに鎮座する、元伊勢外宮豊受大神社・・古びた石段を上ります・・・


写真左下:右手建物が社務所   写真右下:石段を真下から・・パチリ、上りにくそうな石段ですね!

石段を上がると、右手に参道・・恐らく、先ほど閉鎖されていた古い参道、地道である・・・
写真左下:石段の上から見る門前町?   写真右下:地道の参道
右に手水舎、鳥居・・・黒鳥居か?  さぁ、参拝します・・・

正面から見る・・拝殿、脇宮・・・拝殿左、多賀神社 拝殿右、土之神社

写真左下:本殿左側から・・・ 写真右下:奥に聳える「龍燈の杉」・・
・・由諸・・節分の深夜、龍神が燈火を献ずると言い伝えられている・・樹齢千五百年を超えるご神木・・
本殿は桁行3間梁間2間の神明造茅葺。外削ぎの千木を持ち、棟に鰹木を置く。
かつては60年に1度の式年遷宮が行われていたという。現在の本殿は明治7年(1874年)の造替
末社・・・
計37社 (写真は本殿右側部分)・・・
本殿を囲む形でコの字形に配置される。
当神社には御師的な役割をはたす37軒の社家があり、37社の末社はそれぞれの社家が1社ずつ祀っていたという

・・・Wikipediaより引用
神楽殿 - 寄棟造柿葺・・・屋根から落ちた雪でしょう?・・雪が溶けない・・寒いのです!

で、ここはWikipediaを・・・・・以下、引用・・・・
元伊勢外宮豊受大神社・・・
旧社格は府社・・元伊勢伝承地の1つ

歴史は・・・・
近世以前の沿革は不明であるが、江戸時代には明暦2年(1656年)に宮津藩主京極高国が将軍家綱の疱瘡平癒を祈願して社殿を造営し(社蔵棟札)、延宝5 年(1677年)に同永井尚長が4石6斗4升2合の社領を寄せ、以後藩家は変わりながらも歴代藩主の社参や代参、寄進等の崇敬を受けたという・・・

延暦23年(804年)の『止由気宮儀式帳』に、雄略天皇が天照坐皇太神の夢託を蒙り、御饌都神(みけつかみ)として等由気太神(豊受大神)を丹波国から伊勢に迎えたのが外宮であると記す。
それに基づいて当神社は雄略天皇22年に伊勢へ遷座したその故地であるという(『丹後風土記』)・・ あるいは、元鎮座地は比沼麻奈為神社(現京丹後市峰山町久次に鎮座)であるが、雄略天皇22年に伊勢へ遷座する途中で当神社の地にしばらく鎮座し、その跡地に建立したものであるともいう(『加佐郡誌』)・・ また、それとは別に、用明天皇の第3皇子である麻呂子親王が当地の鬼を退治するに際して、内宮(現皇大神社)とともに勧請したものであるとの異伝もある(宝暦11年(1761年)の『丹後州宮津府志』) 外宮の祭神である豊受大御神は、『古事記』『日本書紀』に記載を欠くものの、『止由気宮儀式帳』や『倭姫命世記』によれば、第21代雄略天皇の時代に天照大御神の神託によって丹波国(丹後国)から遷座したと伝えられている・・・

それにしても、諸説あるようですが、よくわかりません・・・本音!

近くに流れる川の名も、宮川・・・伊勢神宮(外宮)近くの川、宮川と同名なのです・・不思議!!

言い伝えがある限り、否定も肯定もできないし・・・不思議なことがそれが歴史・・これでいいのではないでしょうかね! 地元の方々の信仰心が、これからも、代々、鎮座されている神々をお祀りいただくのですから・・・m(_ _)m

では、元伊勢内宮皇大神社へ参ります・・・・

すみません・・・いつものように、広告表示です・・m(_ _)m

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