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2020年7月12日

華厳宗大本山 東大寺・・・二月堂・三月堂・四月堂を拝観します

大仏殿、大仏さまにお会いいたしました・・・テンションは「↑」のままです
二月堂・三月堂・四月堂へと向かいます




昼食なんですが、奈良町まで戻ることも考えましたが、ちと、距離があり、まぁ、ええかと、歩いていると、手向山八幡宮の参道の左手に、お土産物屋さんと、食堂がありましたので、涼を兼ねて休憩、昼食です
正直、暑いのです
いただいた「くずもち」美味しかったです



このお店の左手に、国宝の鐘楼、大鐘があります

鐘の部分・・・高さ4m近く、また重量は26トン
大仏開眼供養が行われた天平勝宝四(752)、東大寺創建時期に製作されたものとなっており、中世以前に造られた鐘としては日本最大のものとなっています

開山堂へ向かう石段です

国宝 法華堂(三月堂)

国宝 法華堂

奈良時代(礼堂鎌倉時代)
東大寺最古の建物で、寺伝では天平五年(733)の創建とされ他にも諸説あるが、平成二十二年の修理の際、部材を測定したところ729年伐採の可能性が出てきた。
盧舎那大仏造立以前から「華厳経」が講じられていたと伝えられ、華厳の根本道場として尊ばれたきたが、旧暦三月に法華会が行われたことから法華堂又は三月堂と呼ばれるようになった

もとは寄棟造りの正堂と礼堂が軒を接して建つ配置であったが、鎌倉時代、礼堂を入母屋造りに改築して二棟をつないだとある



東大寺四月堂(三昧堂)

三昧堂・・・このお堂では毎年四月になると法華三昧会と呼ばれる法要が執り行われることから、次第に「四月堂」という通称で呼ばれるようにもなっていきました


二月堂へ参ります

見上げれば、TVニュースで見慣れた光景ですね

参道の石段に刻まれた、模様を発見!
二月堂南側の石段の下三段には、唐草、亀甲、流水の模様とある
上二段にもあったらしいが、見落としました


石段を上がった正面に手水舎が・・・

うん? これは、これは・・・凄いぞ!
虹梁大瓶束に「二月堂香水」の文字がみえる
そして、蟇股・・・見事です
鷲に連れ去られる、子・・・を、彫っているのでしょうか!


天井にある方位盤・・・龍が取り巻いているぞ

このページ記するとき、調べてみました
・・・先人のお話では、これら蟇股の彫物は東大寺初代別当である良弁の生い立ちをあらわしていると・・・


彫刻見れば、刻銘は探しますので、念入りに探したのですが、見つからず・・・
同じく、このページ記するとき調べたら・・・「彫刻師は、浪花の相野徳兵衛直信」と・・・


木鼻

手水舎前から眺める、大仏殿の屋根も見えます 右は二月堂・・・

二月堂へ上がってきて、手水舎の彫物の見事さに見入り、何周もし、そして、撮影し、掲載する写真も多くなりました
と、いう訳で二月堂は、別途ページ作成いたします

それにしても、浪花の相野徳兵衛直信さんの名が出てくるとは・・・
相野徳兵衛直信・・・そう、綾部市高津八幡神社の拝殿の彫刻が、相野徳兵衛でした
このときも、彫刻の素晴らしさに釘付けされたことを思い出します
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2017/11/blog-post_5.html

さぁ、二月堂を・・・拝観します








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