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2020年7月6日

法相宗大本山、興福寺・・・奈良市登大路町 後編

法相宗大本山、興福寺です
緊急事態宣言が解除され、県をまたいでの往来が可能になりました
前編は、国宝五重塔を大修理前の姿を拝見しに参りました
さぁ、後編は境内を回ります

yahoo地図


国宝、東金堂

神亀三年(726)聖武天皇が叔母の元正太上天皇の病気全快を願って建立
現在の建物は室町時代の応永二十二年(1415)に再建
前面を吹き放しとした寄棟造で、組物である三手先斗栱が多用されるなど、創建当初の奈良時代の雰囲気を色濃く伝えます


今回の二つ目の目的・・・中金堂

中金堂は興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物で、6回の焼失・再建を繰り返した中金堂です
享保二年(1717)に焼失し、その後は仮講堂がが文政二年(1819)建設されただけにとどまってきました。
平成30年(2018)10月に300年ぶりに再興され落慶しました

寄棟造:単層裳階付き、本瓦葺:正面37.0m(桁行九間)側面23.0m(桁行六間)

ところが・・・
コロナウィルスの感染予防に十分な対応がとれないため、しばらくの間閉堂いたします
残念です、しかたないですね



重要文化財・・・興福寺南円堂



西国三十三所観音霊場の第九番札所
弘仁四年(813)に藤原冬嗣が父内麻呂の冥福を願って創建
現在の建物は寛保元年(1741)に立柱
本尊は不空羂索観音菩薩(鎌倉時代、国宝)

本瓦葺 江戸時代
八角の一面は6.4m、対面径は15.5m、本瓦葺きの建物ですが、その手法は創建時を意識した古様です


       南円堂前から五重塔を

南円堂を下っていくと、国宝三重塔があります

弘仁四年(813)に藤原冬嗣が父内麻呂の冥福を願って創建
現在の建物は寛保元年(1741)に立柱
本尊は不空羂索観音菩薩(鎌倉時代、国宝)


高さ19m、鎌倉時代、興福寺で最古の建物
康治二年(1143)崇徳天皇の中宮の皇嘉門院聖子が建て、治承四年(1180)に焼失
まもなく再建されたと言われています
木割が細く軽やかで優美な線を醸し出し、平安時代の建築様式を伝えます
国宝三重塔は日本に13基しかない貴重な建造物です


南円堂を下から眺めます

三条通 閑散としています

名勝 猿沢池

興福寺の境内に戻りました
南大門跡前から、中金堂をパチリ・・・青空を背景にして実に美しいです

       こんな写真が撮れました
       鹿が門で待っています?
       鹿せんべいを持っていないのでね・・・ごめんね

写真としては、どちらがいいかなぁ?

興福寺から登大路地下道を通り、東大寺へ向かいます

国立博物館を・・・

いやいや、良かったです
中金堂が、拝観できるようになれば、また来ましょう・・・
必ずね!!


追記:じつは、北円堂へ行くのを忘れていました(暑さぼけです)










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