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2019年2月28日

射楯兵主神社・・・兵庫県姫路市総社本町190

姫路城は何度も来ることはあれども、播磨国総社、射楯兵主神社を参拝するのは初めてです
射楯兵主神社・・・播磨国総社で、社格は、式内小社、県社。姫路城の中曲輪内に位置する

総社西門(御門)

総社西門は、二階へ上がれるとありますので、登ってみましょう・・・

総社西門の窓を額縁にしてみる、姫路城大天守・・・イイすね!

総社と姫路城

欽明天皇二十五年(564)六月十一日に影向があり、播磨総鎮守、姫路城鎮護の神社として、播磨一円の人々はもとより、歴代城主にも篤い尊崇を仰いできました
総社さん、総社の神様と呼ばれていますが、正式な神社名は射楯兵主神社と云い、射楯大神と兵主大神を本殿に奉齋することから正式名称を、射楯兵主神社と云い、播磨国風土記にも登場する歴史ある神社です御祭神としてお祀りしています


県指定重要有形文化財 市参道、明神鳥居変額

扁額、右上の龍

扁額、左下の龍

由緒・・板に彫られていますね



車祓所 左側の門は八重垣門

神門

播磨国総社 射楯兵主神社

当社は、総社さん、総社の神様と呼ばれていますが、正式な神社名は射楯兵主神社と云い、射楯大神と兵主大神を御祭神としてお祀りしています。 境内には、総社の名の由来になっている播磨国内の大小明神をはじめ、摂末社の神々を合わせ祀っています

お! これは・・・

厄神祭です・・・そう、今日は2月18日です

拝殿、チラッとみえる、社殿



ここで、一休み・・・甘酒です、一杯百円・・・久しぶりです

甘酒販売のテントの内から提灯を・・・

ふと、足下みれば・・・「縁結び通り」

1945年に空襲で焼失、1965年に大復興、2006年に総社御門が復興

・・・播磨国・・・
七世紀に成立した。針間国(加古川以西)・明石国(明石郡・美嚢郡・加古郡・印南郡)・針間鴨国(加古川中流~上流)が大化の改新以降に播磨国(針間国)へ編入されたと推定されている
国府は現在の姫路市本町(射楯兵主神社の北隣りで、現在は姫路郵便局)にあったので射楯兵主神社が播磨国総社となった・・・Wikipediaより

播磨国一宮は兵庫県宍粟市の伊和神社でしたね
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2016/04/blog-post_9.html

播磨国風土記の原本は失われたが、平安時代末期に書写された写本が国宝に指定されている




2019年2月27日

姫路城、特別公開見学に・・その前に、ウロウロしてみます

姫路城、世界遺産登録25周年記念 冬の特別公開 小天守群内部公開の記事を発見して・・・
公開期間は2019年2月1日から28日まで・・・
二月中、その間に絶対、見に行かなければと、計画していました
条件は、 天気の良い日が必須ですね・・・天気予報、晴れマークの日です

配布案内書一部引用
ついにその日が・・・春霞み? 天気はいいです・・歩いていると、汗が・・・そんな日です
当日は、もちろん、嫁と二人です~

前回の世界遺産姫路城十景撮影の折り、見つけた「チーかまドッグ」・・・
腹ごしらえにまずは、「チーかまドッグ・1本 150円」を買いにいきましょう・・

2018年12月16日、世界遺産姫路城十景、撮影ポイント・・・大手前通り(JR姫路駅前)
その折り、見つけた、行列・・・ 「チーかまドッグ・1本 150円」を求める人たち・・
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2018/12/jr188.html
その際に撮影した写真です


時刻は11時30分・・・本日は誰も並んでいません・・・前回と同じ平日なのですが・・・


     「チーかまドッグ・1本 150円」

早速、嫁と私と、2本買いましたよ・・・
・・・美味しかったです・・・


次なるは、姫路城のビューポイント、「イーグレひめじ」です

このイーグレひめじの屋上に嫁を連れてきたかったのです・・・

前回はイベントがあり、三の丸広場には、レーザーマッピング用?の櫓がありました
今回は、スッキリです
西側の石垣から東側まで、全景を撮すことができました

嫁もスマホで撮影していまして・・・一応?
「ここは凄いね、次回は桜やね、桜が城を取り囲むのが見たい」と!・・・はい!

ちと、ズームで・・・


ここから、播磨国射楯兵主神社へ参拝しました
その備忘録は、次回に・・・飛ばします


内京口門跡付近

・・・濠淵へ降りて歩きます・・・

沢山の鯉と、草魚?が泳いでいました・・そして、その中の鯉をパチリです
・・・日本在来種と思われていた「鯉」・・しかし、「外来種」と最近判明したらしい・・・
日本在来種の鯉は、琵琶湖に生息する「野鯉」のみ・・と!

    東部中濠

久長門跡



国立姫路病院機構姫路医療センター付近からの天守と東小天守の姿・・

さぁ、姫路城、世界遺産登録25周年記念、冬の特別公開、小天守群内部公開へ・・・

・・・わくわくしますね・・・





2019年2月26日

岡太神社・・・兵庫県西宮市小松南町二丁目2-8

兵庫県西宮市小松南町2-2-8に鎮座する岡太神社を訪ねます

武庫郡の式内社の論社となっている。鳴尾地域では最古の神社である
社格は、延喜式内社、旧県社 別名:岡司宮(おかしの宮)

江戸中期の西宮付近の地図に見られます(下、赤丸)



・・・寛延元年摂津国名所大絵図による・・・

この地図は、今からおよそ250年前の西宮南部で、村落が増えて現在の主要地がほぼみられます。また、京からの西国街道と大阪からの中国道も西宮で合流しています。
西宮の町は西国街道沿いの交通要地に発展した広田・西宮神社前の市場町として鎌倉時代から知られていました。
室町時代には「西宮の旨酒」としてすでに京まで聞こえた酒造業は、江戸時代に入ると目ざましい発展をとげ、西宮・今津両港は江戸積み樽廻船でにぎわいました。
「広田神社の前」の意味で御前浜と呼ばれていた西宮浜は、古代から漁業で知られていましたが、江戸時代に入っても鯛・白魚などのほか鰯漁が盛んでした。この鰯を干したものが干鰯で、武庫川両岸の村々などで、盛んに栽培された棉や菜種(油の原料)の肥料として重要でした。棉や菜種を作る田園風景は明治時代初めに見られなくなりましたが、この地図の農村集落は昭和初期まで変わることなく続きました


岡太神社社頭

      石標

延喜式内 岡太神社略記

祭神 天御中主大神
天の真中に坐して、世の中の宇斯たる神と申す意なり。
天の初発の時、高天原に生りませる神にして神道における根本神祇なり。
相殿 高皇産靈神 素盞嗚神 稻田姫神 大己貴神 蘇民將来

由緒
伝に曰く宇多天皇寛平五年(853)武庫郡広田の人岡司氏此地を開発して浜村といい延喜元年天御中主神を主神に広田の大神五柱を末社として共に鎮座せしを起源とし由って岡司美也と称す。
合祀神五柱は、元上の宮と称して本社の北に当たる人家の間にありしを明治5年合祀せるなり。
明治六年八月村社に列し、同十二年四月県社となる。



石鳥居・・・寛永二(1624)と刻まれている

恵比須大神と静止像

西宮神社に御鎮座の恵比須大神は武庫の沖から御来臨になり最初、鳴尾でお祀りしていたとの口碑かあります。小松では、その大神が毎年正月9日の夕に押照営(岡太神社)で高潮や洪水等の災害を未然に静止(防止)して五穀豊穣をもたらす猪(静止)打神事をされると伝えられこの神事の妨げにならぬよう斎籠をする風習がありました。これは静止を猪にかけたもので、「猪」は大神の伎使わしめと云われています。
当社では摂社に大神をお祀りし昔語を後せに伝えるよすがとして彫刻家柏木秀峰作の静止像(亥)を設置しています



   社殿


恵美須社 ・・・ 社殿左奥に鎮座。祭神:恵美須大神



岡太社の石標

この碑は、江戸中期の碩儒並河誠所が有志と、社殿の廃滅や祭神の由緒などの誤り伝えられていた延喜式所載の摂津国の古社二十社につき踏査考定して、正しい社名を明らかにするため、時の寺社奉行大岡越前守忠相に上申し元文元年(1736)から翌年にかけて建立した碑石の一つです。
表面に神名帳に記載の社名、側面に村名、裏面台石に同志菅広房(山口伊兵衛)の名が刻されています。





白山大神の由緒

天正十年(1582)反逆者・明智光秀の部将・四方天但馬守は、備中の戦陣より急遽引き返した秀吉を三軒家で乱戦して組み敷き、くわえた刀で撃とうとしたが不覚にも歯が欠けて刀をとり落とし、後を追ってきた加藤清正に誅されました
但馬守は無念で、これからは歯の悪い人をなおしてやろうと言い残したと風説があります
この話は白山大神と但馬守との付会です
白山大神は、和と結び・禳災の神ですが、当地では白山さん、はくさ(歯瘡)さんと転訛し、北向きの歯神さんとして周知されています


伝、小松内大臣平重盛の供養塔

手水舎

北西からみる社殿・・・(木々で見えないですが・・)


別名:おかしの宮の標柱(上、写真)
この地域も、阪神淡路大震災の被害は大きかったと聞いています
阪神淡路大震災で社殿倒壊、再建されたとあります・・・非常に立派な社殿でした