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2019年2月15日

廣田神社・・・兵庫県で最古の神社のひとつ・・兵庫県西宮市大社町7-7

兵庫県西宮市大社町、廣田神社を参拝します
廣田神社は、天照坐皇大御神の荒御魂を祀り、神功皇后摂政元年(201年)に創建され兵庫県で最古の神社のひとつです

1995年の阪神淡路大震災では祭舎の倒壊、儀式殿全壊、表参道の石鳥居が破壊されるなどの大きな被害を受けました

ここ、廣田神社を参拝するのは、実に数十年ぶりです・・・懐かしいです


標柱


廣田神社の御由緒

御創祀
神功皇后摂政元年(西暦201年)、国難打破の道を示し、八幡大神の御懐妊を告げ安産を守護し、軍船を導き、建国初の海外遠征に勝利を授けた、廣田大御神の御神誨により、御凱旋の帰途、御心・廣田の園に国土安泰・外難の守護として御創祀されたことが、我が国最古の国史書「日本書記」に記されています

御沿革
大同元年(806)封戸四十一戸、貞観十年(868)従一位昇叙、延喜年間(901~923)官幣名神大社・相嘗祈雨の奉幣に列し、全国神社に冠たる二十二社に先立ち正曆二年(991)十九社の一社に加えられ、朝廷より恒例・臨時の奉幣枚挙たることが古記録に残り、明治四年(1841)の社格復興の折には県内で唯一管幣大社に列各しました
明治七年には境内地を分割譲与し末社の戎宮総本社・西宮神社を独立させています
「伊勢大神宮御胴体」の兵庫県下第一の御社格御由緒の大社として広く崇敬を集め、中世には「西宮参拝」と称して国家の神事を司った神祇官の歴代長官や公家・五山の僧侶たちが度々に亙って参詣し物語りや和歌・今様・漢詩に多々その痕跡を残しています
武家の崇敬も篤く、源頼朝は平家討伐を祈願し淡路・廣田の庄を寄進、豊臣秀頼は末社・戎社(現西宮神社)と共に大規模な改築を行い、徳川吉宗は現今の地に遷宮しました
御社殿は、伊勢神宮戦後初の式年遷宮に当たり、荒祭宮旧社の譲与を受け、昭和31~38年(1956~63)に神明造にて造営がなされました

・・・御由緒より引用・・・


手水舎にて清め、参拝へ

境内


拝殿

御祭神:天照坐皇大御神の荒御魂


第一脇殿 住吉大神
第二脇殿 八幡大神


第三脇殿 諏訪健御名方大神
第四脇殿 高皇産霊大神




境内摂社・・・
伊和志豆神社・・・延喜式では官幣小社に列せられている


境内社
左から、 松尾神社 そして、稲荷神社、地 神社、春日神社、子安神社、八坂神社

廣田神社は「勝運」の神様としても知られていて、毎年「阪神タイガース」が必勝祈願にお参りする神社としても有名です




古代遺跡と現代の西宮と江戸中期の西宮付近


古代遺跡と現代の西宮

今の海岸よりはるか北へ入り込んだ入江は武庫水門と呼ばれる大和朝廷にとって重要な港だったとされています。
入江の東には万葉集にもその風光の美しさをうたわれた角の松原(現松原神社付近)が突き出ていますが、遠い異国から優れた織物や染色技術を伝えた乙女が最初に上陸したと伝えがあります。
「港の入口」を意味する津門にはこの港を管理した豪族の遺した二基の前方後円墳もあります。
廣田神社は航海の安全を願ってそのころに祭られたこの地方でも最も古い神社です

えべっさん「西宮神社」は、元は廣田神社の摂社、浜南宮で、西宮神社境内の南宮神社がその原型といえる
かつて「向か津峰」と呼ばれた六甲山全山は、元は廣田神社の社領であったという


兵庫県指定天然記念物
・・・廣田神社のコバノミツバツツジ・・・

境内の10数箇所に植えられたコバノミツバツツジは約2万株あり、毎年3月下旬から4月中旬までその美しい花を見せてくれます


参道・・・この松並木が続いています
この先、約400m南に一の鳥居があります
今回は、一の鳥居は行きませんでしたので、次の機会に行ってみましょう

数十年ぶりに参拝しました
私にとって、この付近は、色々な思い出が沢山ある地でもあります
神社巡りをしている私の備忘録の最初に登場しなかったのが、不思議なぐらい忘れていました
懐かしい当時のことを思い出しながら、備忘録、記しました


追記:写真は、先日、手にした、smc Pentax FA28 F2.8ALのみで撮影しました






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