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2019年2月21日

矢田寺(金剛山寺)・・大和十三佛第五番霊場・・・奈良県大和郡山市矢田町3549

矢田寺は、奈良県大和郡山市矢田町にある高野山真言宗の寺院
山号は矢田山。正式の寺号を金剛山寺という
別名「あじさい寺」とも呼ばれ、境内には約10,000株、約60種のアジサイが植えられている

この坂の両側に数カ所の有料「P」があります
500円もあれば、300円もあります・・・おそらく、紫陽花の時期には沢山の方が来られるのでしょうね・・・こういうところの「P」はこのようなものですね
一応、300円の「P」へ・・・無人ですが、そこはちゃんと料金箱へ入れました


参道?

その途中に「お地蔵様」

山門に到着 
石標には「別格本山金剛山寺」とある

案内図


お! 結構な石段ですね・・

石段登れば・・・「カンカン地蔵」

境内への入口ようですね

静寂! いい雰囲気です

・・・準別格本山大門坊・・・
全国各地から奉納された一千体の地蔵尊が安置されています

大門坊は、矢田寺の塔頭のひとつであり、 弘法大師が25歳の時に矢田山に登られ、不動明王を図写して、 国家安穏、万民豊楽の誓願をたてて留錫され、 「三大秘密教門院」と命名された寺院です・・・古くより容真御流華道の家元として、 華道研究も盛んに行われていると・・・


・・・矢田聖天・・・
大門坊山門の左側に、聖天堂があります。 矢田聖天と呼ばれるこの聖天堂には、江戸時代中期の高僧、慈雲尊者(1718~1804)により、 宝暦年間に勧請されたと伝えられる大聖歓喜天(聖天さま)をはじめ、諸尊が安置されています


念仏院

本堂へ向かいます


「矢田のお地蔵さん」で親しまれている矢田寺(矢田山・金剛山寺)
・・・矢田丘陵の中心矢田山の中腹にあり、 日本最古の延命地蔵菩薩を安置しています。
今から約1300年前、大海人皇子(後の天武天皇)が、壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、即位後の白鳳4年、智通僧上に勅せられ、七堂伽欄48カ所坊を造営されたのが当山の開基です。
当初は十一面観世音菩薩と吉祥天女を本尊としていましたが、 弘仁年間に、満米上人により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰の中心地として栄えてきました・・・矢田寺案内より


外陣へ・・



外陣から望む景色

    大和十三仏 御朱印めぐり


なんの為の鉄具?

護摩堂、閻魔堂、奥は太子堂

「有縁無縁」の文字

   
   鐘楼
   ・・・梵鐘(寛元4年在銘) は   重要文化財、鎌倉時代

      本堂前の石燈籠・・・寛政五年(1793)

講堂

金剛山寺(矢田寺)の文化財は・・・
・木造地蔵菩薩立像(本尊)重要文化財。貞観時代
・木造地蔵菩薩立像(試みの地蔵)     重要文化財。藤原時代
・木造阿弥陀如来坐像     重要文化財。藤原時代
・木造十一面観音立像     重要文化財。奈良時代    
・木造閻魔王倚像     重要文化財。鎌倉時代    
・木造二天王立像     奈良県指定文化財。奈良時代
・木造司録倚像     重要文化財。鎌倉時代
・木造釈迦如来坐像     重要文化財。室町時代    
・絹本着色矢田地蔵縁起     重要文化財。鎌倉時代
・春日神社本殿(一間社春日造)     重要文化財。室町時代
・梵鐘(寛元四年在銘)     重要文化財。鎌倉時代


お地蔵様たち・・・

味噌なめ地蔵

参道の中ほど右側に、大きな「みそなめ地蔵」が立っておられます
その昔、近在の農婦が自家製の味噌の味が悪くなり、困っていました。 ある夜のこと、夢の中に石のお地蔵様があらわれて、 「我にその味噌を食べさせてくれたら、良い味にしてやろう」とお告げになりました。
翌朝、矢田寺へ参って参道を見ると、夢に立たれたお地蔵様がおられたので、 早速くだんの味噌をその口許にぬったところ、家の味噌は味が直っていたそうです。
これを伝え聞いた里人たちは、新しい味噌を作ると味が良くなるようにと、 こぞってお地蔵様の口許へぬるので、誰言うとなく「みそなめ地蔵」と呼ばれるようになったのです

下山します

良き天気でした・・・左右がほとんど「P」です

県道189号線 

紫陽花の時期は入山料は500円らしい・・季節外れの今は、無料でした
静寂の中、参道の石畳を歩く足音にも気をつけて、カメラの合焦音の「ピッ」が、やけに雰囲気を壊す音になりましたね・・・電子音、止めておこう・・・






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