中井権次一統の足跡を巡っています
中井権次一統作品集 播磨摂津「No11」兵庫県三田市上本庄1221、駒宇佐八幡神社です
写真下、その山、左1/3あたり上に、駒宇佐八幡神社はあります
国道176号線から波田橋の信号を左折、武庫川沿いです
社頭
・・・大きな「P」があります・・・
扁額
昼も薄暗い参道・・・
社務所
随神門
三田市指定重要文化財・・・長床
・・・瓦葺き、39坪・・・
境内風景
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神社の由緒は古い。近世三田藩主九鬼家の祈願所となり、本殿は明和三年(1766年)藩主と六ヵ村中の寄進により総建坪17坪の欅材づくりの豪華な社殿が再建された。一間社春日造桧皮葺、屋根は入母屋つくりに見えるが後方は切妻となっている珍しい形式である。
舞台は本殿正面になく左横手に建てられてある。庭前が狭いので、このような位置にになったかも知れない。あるいはここに伝わる百石踊(県指定重要無形文化財)を奉納する場として神前を空けたとも考えられる。
長床は承応三年(1654年)二代藩主、九鬼隆昌寄進にものである。中央宇床下の階段をくぐり抜ける古い形式の参詣道を残している
拝殿
祭神 応神天皇
三田市指定重要文化財、本殿・・・
一間社春日造桧皮葺、屋根は入母屋つくりに見えるが後方は切妻となっている珍しい形式である
木鼻の獅子、龍の競演のようです
右脇障子・・・欅一枚板透彫
・・・中井言次君音の作と、駒宇佐八幡神社の参拝のしおりに記載されています・・・
四代目、中井言次君音(1722~1787没)です
本殿、左側面
長床
ご神木 大杉 幹周り4.8m 樹高30m
三田市指定重要文化財 舞殿
・・・茅葺銅鈑覆、九坪・・・
元禄十三年(1700)と読める
駒宇佐八幡宮「的場」
田の道を歩いて行ってみます
・・・山の麓にあります・・・
駒宇佐八幡神社 的石
往事行われていた(流鏑馬)の的石であったと云われ此の川の右岸にあったが昭和55年河川改修により此処に移したものである・・・
振り返って戻ると・・・木のてっぺんにシラサギか?
PentaxQ7+06 TELEPHOTO ZOOM 200mmで・・
飛び立ってこの田の上空を旋回始めました
NikonZ7で、適当にパチリすると・・・
・・・なんと、みごとなシラサギの姿を撮影できました・・・琵琶湖の人力滑空機みたい!
前回は2015年3月・・・
その時は、中井権次一統の何代目かは不明でしたが、拝殿前においてある参拝のしおりを
いただき、そのなかに、本殿脇障子、欅一枚板透彫と中井言次君音作と紹介されていました
三田市の資料では・・・
現本殿は明和年間に、三田藩八代藩主九鬼隆邑と須磨田六ヵ村の浄財寄進により再建されたもので、神恩に報いるため宮建築の枠を尽くして建立されている・・と、記されています
中井言次君音の手によって彫刻が施されたのですね・・・
彫物師が中井言次君音ということが、わかったことだけでも、再撮影にきてよかったです
不明なことが分かるって、実にうれしいことですね~
兵庫県指定無形民俗文化財 駒宇佐八幡神社百石踊
由来
文亀三年の夏、大旱魃で107日間降雨がなく農作物は枯死寸前となり農民が大変因っている時、天台宗の元信増徒が藷国巡礼中当神社社坊に立寄り、諸氏救 済は僧徒の役目と沐浴斎戒して七日七夜参籠し雨乞祈 願をされた。その満願の夜の夢枕に小男小女多勢現れ、 男は太鼓を打ち、女は五色の幣をつけた杖をつき、盛 んなる踊がでた。僧が日を覚ますと沛然な大雨となり 三日間続いて、農民は蘇生の思いをした。以後この元信僧徒の功績を後世に伝えようと旱魃時にはこの夢告げの踊を奉納した・・・配布資料より引用
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