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2026年6月10日

長野の旅 旧開智学校校舎の文化財を散策します

国宝 旧開智学校校舎を拝見いたしました
その近くに文化財がありますので、散策しましょう
旧開智学校の「P」は無料ですので、急いで周る必要もありません


旧司祭館

○松本城周辺の都市計画街路拡幅事業に関連して松本カトリック教会 は、施設の再配置を計画し、旧司祭館の取り壊しを予定したが、貴 重な文化財の保存を決意、平成元年十月旧司祭館を市へ寄贈した。
○松本市は、この建物の文化財としての価値を認め、保存のための移 転復原事業を進め、移転先を重要文化財 旧開智学校の在る開智公 園に定め、平成二年十月解体工事着手、翌平成三年三月復原工事に 入り、同年十月に竣工した。
○この移転復原事業に際し、 平成元年十二月松本市芳野十九番四十八 所在のキッセイ薬品工業株式会社(代表取締役・神澤邦雄氏)から 文化財存事業のためにと寄附金六、〇〇〇万円が寄せられた。
○このほか、この復原事業に当たっては、大河直躬博士、百瀬常雄氏、 カトリック教会横浜司教区等をはじめ、多くの関係者のご指導、ご 尽力があったことにより進められた。
○旧司祭館は、明治二十二年(一八八九) 松本カトリック教会神父ク レマン(フランス人)により、旧藩政時の武家屋敷跡 (松本市丸の 内九番三十二号) 地に建築された西洋館で、アーリーアメリカン風 の建築様式を伝え、各部屋には暖炉を配し、一・二階ともベランダ を備え、外壁に下見板張りを施すなど、随所に西洋館の特徴を表し ている。

建築年 明治二十二年(1889)
建築面積 一階 102.64㎡  二階 100.09㎡
建築様式 アーリーアメリカン(コロニアル)風 木造二階建て
平成3年11月吉日  松本市教育委員会


カトリック松本教会の施設

昭和前期の教会敷地内の様子をみてみましょう。
中央に位置するのは、明治23年にクレマン神父により建築された天主堂(聖堂)です。天主堂を中心として北西に旧司祭館が、東に家老屋敷の名残である池がありました。南の道路側には、昭和7年(1932)にデルボス神父により創設された聖テレジア幼稚園と、伝道士館·信者会館がありました。クレマン神父が敷地を購入して以降、歴代の神父によって教会の施設が整備されていきました。

暖炉



旧開智学校校舎前を通って、市重要文化財、高橋家に向かいます

歩くこと5分? 住宅が並ぶなか、忽然と現れます
「高橋家住宅」

松本市重要文化財 高橋家住宅

高橋家住宅は徒士町にあり、高橋家が享保11年(1726) に戸田氏にしたがって鳥羽から松本に移住してきたときに、 松本藩が藩士の住まいとしてあてがった、いわば官舎である。
敷地は間口約7間(13m) 奥行約26間 (47m 現在公開している部分は北側の半分)で、南北 細長い形をしている。 建物の大きさは、 間口約6間半 (11.6m) 奥行4間半 (8.2m) である。
間取りは、玄関にとりつぎの間があり、この奥に田の字型に中床や押入がついた4部屋が配置され ている。この4部屋の東側に台所と通り土間が設けられている。
平成16年に、 松本市が高橋氏から建物の寄附をうけ、平成19年から20年にかけて復元工事 を行なった。
平成24年3月 松本市教育委員会


しかし、休館日 
暑い中、歩いてきたのに残念です、またまた調べの甘さがでてしまいました
松本市さん、休館日、旧開智学校校と合わせてくれないかなぁ・と、思った次第です
しかし、屋根に石をおいて防風対策?とは、久しぶりにみましたね


さぁ、長野の旅 最終観光場所「なわて通り」に向かいます


   プリウスα君に乗り、「なわて通り」に、向かいました、「P」へと左折しました
その時、車中から見えた「なわて通り」の光景
わぁ! 外人観光客で、メチャ混雑しています
それをみて、嫁と顔見合わせ、「やめよう!」と意見が合いました


定番、松本市のマンホール



と、いうことで、長野の旅、目的地は、ほぼ予定どうり周ることができました
さて、ここで長野の旅の記事も締めくくりたいと思ったのですが、帰路の途中、またまた絶景に遭遇しましたので、其の記事で締めくくりたいと思います

と、いうことで、長野の旅、最終の記事に続きます


旧司祭館



高橋家住宅









2019年9月19日

中井権次一統の足跡・・・駒宇佐八幡神社、兵庫県三田市上本庄1221

中井権次一統の足跡を巡っています 
中井権次一統作品集 播磨摂津「No11」兵庫県三田市上本庄1221、駒宇佐八幡神社です

写真下、その山、左1/3あたり上に、駒宇佐八幡神社はあります

国道176号線から波田橋の信号を左折、武庫川沿いです


       社頭
       ・・・大きな「P」があります・・・

扁額

昼も薄暗い参道・・・

社務所

       随神門

三田市指定重要文化財・・・長床
・・・瓦葺き、39坪・・・

境内風景
PentaxQ7 FishEye
駒宇佐八幡神社

神社の由緒は古い。近世三田藩主九鬼家の祈願所となり、本殿は明和三年(1766年)藩主と六ヵ村中の寄進により総建坪17坪の欅材づくりの豪華な社殿が再建された。一間社春日造桧皮葺、屋根は入母屋つくりに見えるが後方は切妻となっている珍しい形式である。
舞台は本殿正面になく左横手に建てられてある。庭前が狭いので、このような位置にになったかも知れない。あるいはここに伝わる百石踊(県指定重要無形文化財)を奉納する場として神前を空けたとも考えられる。
長床は承応三年(1654年)二代藩主、九鬼隆昌寄進にものである。中央宇床下の階段をくぐり抜ける古い形式の参詣道を残している

拝殿

祭神 応神天皇

三田市指定重要文化財、本殿・・・
一間社春日造桧皮葺、屋根は入母屋つくりに見えるが後方は切妻となっている珍しい形式である


木鼻の獅子、龍の競演のようです

右脇障子・・・欅一枚板透彫
・・・中井言次君音の作と、駒宇佐八幡神社の参拝のしおりに記載されています・・・
四代目、中井言次君音(1722~1787没)です

本殿、左側面

長床

ご神木 大杉  幹周り4.8m 樹高30m




三田市指定重要文化財 舞殿
・・・茅葺銅鈑覆、九坪・・・

       元禄十三年(1700)と読める

       駒宇佐八幡宮「的場」

田の道を歩いて行ってみます
・・・山の麓にあります・・・

駒宇佐八幡神社 的石

往事行われていた(流鏑馬)の的石であったと云われ此の川の右岸にあったが昭和55年河川改修により此処に移したものである・・・

振り返って戻ると・・・木のてっぺんにシラサギか?

PentaxQ7+06 TELEPHOTO ZOOM 200mmで・・

飛び立ってこの田の上空を旋回始めました
NikonZ7で、適当にパチリすると・・・
・・・なんと、みごとなシラサギの姿を撮影できました・・・琵琶湖の人力滑空機みたい!

前回は2015年3月・・・
その時は、中井権次一統の何代目かは不明でしたが、拝殿前においてある参拝のしおりを
いただき、そのなかに、本殿脇障子、欅一枚板透彫と中井言次君音作と紹介されていました
三田市の資料では・・・
現本殿は明和年間に、三田藩八代藩主九鬼隆邑と須磨田六ヵ村の浄財寄進により再建されたもので、神恩に報いるため宮建築の枠を尽くして建立されている・・と、記されています
中井言次君音の手によって彫刻が施されたのですね・・・

彫物師が中井言次君音ということが、わかったことだけでも、再撮影にきてよかったです

不明なことが分かるって、実にうれしいことですね~



兵庫県指定無形民俗文化財 駒宇佐八幡神社百石踊

由来
文亀三年の夏、大旱魃で107日間降雨がなく農作物は枯死寸前となり農民が大変因っている時、天台宗の元信増徒が藷国巡礼中当神社社坊に立寄り、諸氏救 済は僧徒の役目と沐浴斎戒して七日七夜参籠し雨乞祈 願をされた。その満願の夜の夢枕に小男小女多勢現れ、 男は太鼓を打ち、女は五色の幣をつけた杖をつき、盛 んなる踊がでた。僧が日を覚ますと沛然な大雨となり 三日間続いて、農民は蘇生の思いをした。以後この元信僧徒の功績を後世に伝えようと旱魃時にはこの夢告げの踊を奉納した・・・配布資料より引用




2019年7月9日

日吉神社・・・兵庫県加西市池上町七番地

兵庫県加西市池上町七番地、日吉神社です

神社前の道路の向かいに立つ、神明鳥居・・・

加西市重要文化財・・・神明鳥居 建立 元和六年(1620)です


加西市指定文化財・・・日吉神社建造物群


本殿 安政三年(1856) 七間社流造 銅板葺
拝殿 文化二年(1805) 桁行七間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、割拝殿
幣殿 拝殿と同時期 正面二間、側面三間、切妻造、妻入、桟瓦葺
随心門 19世紀中期 桁行三間、梁間二間、本瓦葺

日吉神社は、平安時代の慈覚大師来訪を契機とした創建縁起を持っています。
室町時代中頃に現在の形になり、七社立会神事(現在は六社)も、この頃に成立したと考えられています。
本殿は七間社流造で、神事に集まった七社の神輿が外陣に並べられるよう、近隣では類を見ない巨大な構造になっています。
現在、神輿(現在は六基)を並べている拝殿も、大規模かつ荘厳な造りとなっています。
幣殿も神輿が本殿にスムーズに向かえるよう、正面二間と十分な幅がとられています。
随心門は、正面より背面(境内側)の意匠を凝るなど、境内を「魅せる場」として意識した造りになっています。
日吉神社の建造物群が構成する神社境内は、七社立会神事が始まった中世期の祭礼空間を色濃く継承しており、民俗学的にも貴重な建造物群ともいえます。・・・加西市教育委員会


随心門・・・
 19世紀中期 桁行三間、梁間二間、本瓦葺

拝殿・・・
 文化二年(1805) 桁行七間、梁間三間、入母屋造、桟瓦葺、割拝殿

本殿・・・
 安政三年(1856) 七間社流造 銅板葺

主祭神:大山咋大神和魂
配祀神:大己貴大神、田心姫大神、白山比賣大神、大山咋大神荒魂、鴨玉依姫大神和魂、鴨玉依姫大神荒魂


奥宮の存する鎌倉山を御神体山とし拝した。
その大神様を里にお迎えし、約1300年前その地に近江国日吉社(現在の滋賀県大津市日吉大社)より御分霊をいただいたのが、現在の当社である



八幡社

出現社

愛宕社

さざれ石・・・



神の使い動物
・・・  日吉神社の神使は「猿」です。神猿と書いて「まさる」と呼びます。
「まさる」は「魔が去る」または「勝る」の意で魔よけ等の御神徳を頂いております。
「眼猿(みざる)」「口猿(いわざる)」「耳猿(きかざる)」の彫刻


広大な境内です
七間社流造の本殿の全景は、写真には入りきりませんでした
神社前の「P」は、ほぼ、満車・・・
よ~く、見ると、重要文化財の鳥居の横はうどん屋さん!
そのお客さん用の「P」でした