姫路城は何度も来ることはあれども、播磨国総社、射楯兵主神社を参拝するのは初めてです
射楯兵主神社・・・播磨国総社で、社格は、式内小社、県社。姫路城の中曲輪内に位置する
総社西門(御門)
総社西門は、二階へ上がれるとありますので、登ってみましょう・・・
総社西門の窓を額縁にしてみる、姫路城大天守・・・イイすね!
総社と姫路城
欽明天皇二十五年(564)六月十一日に影向があり、播磨総鎮守、姫路城鎮護の神社として、播磨一円の人々はもとより、歴代城主にも篤い尊崇を仰いできました
総社さん、総社の神様と呼ばれていますが、正式な神社名は射楯兵主神社と云い、射楯大神と兵主大神を本殿に奉齋することから正式名称を、射楯兵主神社と云い、播磨国風土記にも登場する歴史ある神社です御祭神としてお祀りしています
県指定重要有形文化財 市参道、明神鳥居変額
扁額、右上の龍
扁額、左下の龍
由緒・・板に彫られていますね
車祓所 左側の門は八重垣門
神門
播磨国総社 射楯兵主神社
当社は、総社さん、総社の神様と呼ばれていますが、正式な神社名は射楯兵主神社と云い、射楯大神と兵主大神を御祭神としてお祀りしています。 境内には、総社の名の由来になっている播磨国内の大小明神をはじめ、摂末社の神々を合わせ祀っています
厄神祭です・・・そう、今日は2月18日です
拝殿、チラッとみえる、社殿
ここで、一休み・・・甘酒です、一杯百円・・・久しぶりです
甘酒販売のテントの内から提灯を・・・
ふと、足下みれば・・・「縁結び通り」
1945年に空襲で焼失、1965年に大復興、2006年に総社御門が復興
・・・播磨国・・・
七世紀に成立した。針間国(加古川以西)・明石国(明石郡・美嚢郡・加古郡・印南郡)・針間鴨国(加古川中流~上流)が大化の改新以降に播磨国(針間国)へ編入されたと推定されている
国府は現在の姫路市本町(射楯兵主神社の北隣りで、現在は姫路郵便局)にあったので射楯兵主神社が播磨国総社となった・・・Wikipediaより
播磨国一宮は兵庫県宍粟市の伊和神社でしたね
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2016/04/blog-post_9.html
播磨国風土記の原本は失われたが、平安時代末期に書写された写本が国宝に指定されている
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