兵庫県西宮市松原町2、松原天満宮を訪ねます
そして、松原天満宮の斜め前、南側「漢織呉織伝承地」にも・・・
広田神社の備忘録にも掲載しました・・・古代遺跡と現代の西宮
下写真、赤丸、角の松原(現松原神社付近)
今の海岸よりはるか北へ入り込んだ入江は武庫水門と呼ばれる大和朝廷にとって重要な港だったとされています。
入江の東には万葉集にもその風光の美しさをうたわれた『角の松原(現松原神社付近)』が突き出ていますが、遠い異国から優れた織物や染色技術を伝えた乙女が最初に上陸したと伝えがあります。
「港の入口」を意味する津門にはこの港を管理した豪族の遺した二基の前方後円墳もあります。
社頭
摂津名社 松原天満宮(松原天神)の由緒
管公は五歳にして和歌を詠じ、十一歳に詩を賦し、博く経史に通じ、寛平四年類聚国史二百巻を選修し、第五十九代宇多天皇信任篤く、昌泰二年、右大臣に累進された。
延喜元年、藤原時平のそしりにより九州筑紫に下る時この地に休泊された。同三年二月二十五日、今から千八百八年有余年前に太宰府で薨去され、後に祠を建て祀られたもので昔は梅林が賑わい歌塚もあるが、今はその姿を再現しつつある。
七月の天神まつりは阪神官随一の賑わいをみせる
拝殿
本殿、拝殿・・・東からみる
境内社
保護樹木 「エノキ」
保護樹木 「夫婦クスノキ」
松原天満宮の斜め前、南側・・・漢織呉織伝承地
旧兵庫縣史蹟「兵庫縣 漢織呉織松 染殿池」石碑
漢織呉織伝承地・・・
遠い異国から優れた織物や染色技術を伝えた乙女が最初に上陸したと伝えがあります
現在、漢織・呉織が糸を染めたという「染殿池」とそれを詠んだ小沢種春の句碑「千世もなをのこすみどりの色深き綾はの松に染殿の池」がある。
織物の祖「織姫大明神」を祭った喜多向稲荷神社
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