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2017年12月6日

泊神社・・・文化財を巡って・・兵庫県加古川市加古川町木村宮本658

兵庫県加古川市をウロウロしております

兵庫県加古川市加古川町木村宮本658、泊神社を訪ねます
・・・宮本武蔵・伊織 ゆかりの宮とあります・・・こちらも、七五三詣の幟が‥・
随神門



わがまち加古川60選 泊神社

神代に伊勢神宮の御神体の一つである御鏡がここに泊まり着いたことから泊神社が起こったといわれています
祭神は、天照大神・少彦名神・国懸大神です
現在の社殿は、永承二年(1653)宮本武蔵の養子、宮本伊織が改築したときのものといわれています
一歩足を踏み入れると境内は広く、南北朝時代の石弾城の石垣と思われるものや、宮本伊織寄贈の花崗岩製の灯籠、市指定文化財の36歌仙図絵馬が残っています
                           ・・・案内板より引用・・・

右から、絵馬殿、拝殿、本殿と・・・
神額・・・「正一位泊大明神」・・・
登録有形文化財の証
本殿、登録有形文化財
南面する入母屋造妻入銅板葺で、正面に軒唐破風付の向拝を付ける特徴的な外観となる。一間社で、背面は中央に柱を建て二間とし、正・側三方に榑縁をまわす。身舎は円柱で、柱上は出組。向拝は三斗組で、中備に蟇股を置く・・・文化庁より引用

・・・泊神社 灯籠・・・
この本殿裏の二基の灯籠は、宮本伊織とその一族である田原正久が寄進したものです
二基とも花崗岩製で、承應二年(1653)三月に寄進したことが、銘文によって明らかです
宮本伊織のもの(右側のもの)は、全高279cm、田原正久寄進のものは、全高165cm、あります
                            ・・・案内板より引用・・・

手前が、宮本伊織寄進の灯籠  奥が、田原正久寄進

・・・能舞台・・・


・・・石弾城趾・・・

城主は、大井三樹伊豫守宰任従五位左京亮で、暦応二年八月三十日雁南荘地頭職を給わり、この城に居を構えた。次宰の五男に雁南右衛門四郎勇という者がいて、永和元年五月五日父の跡を継いだ。正六位に任じられ、主馬助と号し赤松氏に従っていた。この勇の長男に雁南行部太郎長という者がいて、亨徳三年家督を継いで木村源五郎と号した。父にしたがって武功があったが、康正元年父勇討死の後、なおこの石弾城を固め守っていたが、長禄元年三月、山名宗全に攻められ討死して遂に落城した
                            ・・・案内板より・・・

石垣があると云われているのですが、見つかりませんでした・・・(>_<)

「P」に戻り、西、見れば、鳥居が・・・参道だったのですね・・・ここで、失礼!
宮本伊織・・・武蔵の供養の為、社殿を改築らしい  宮本武蔵は謎多き人物・・・
痕跡を辿ることも、面白いのだが・・・まぁ、それはそれとして・・・
承應二年(1653)三月に寄進の、石造灯籠、指定文化財には、ならないのかなぁ?






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