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2018年9月22日

春日神社・・梅田七社を巡って・・兵庫県篠山市本郷141-1

京都府福知山市、篠山市・・・梅田七社を巡っています
そして、中井権次一統の足跡でもあります

梅田七社…中世の豪族・細見氏が統治していた地域に建立された7社の兄弟社で、菟原(梅田神社)、辻(梅田神社)、高杉(春日神社)、友渕(春日神社)、本郷(春日神社)、藤阪(春日神社)、小原(梅田神社)を指します。この内、本郷、藤阪、小原は現在の兵庫県篠山市になります

兵庫県篠山市本郷141-1、春日神社です(赤丸)

中井権次一統の足跡でもあります・・・なんと、再々訪となります

社頭


境内案内板

祭神 八意思兼神 事代主神 紀貫之神
昔は、梅の宮と称したる 中古以来梅田春日と改号す
紀貫之ノ守護にして元天田郡細見庄中出村にあったのを、仁安元年(1166年)其の神体をこの地に遷し祭る
文化十四年春三月二十一日、六百五十年大祭が行われています
天保七年五月に社殿が焼失、弘化元年再建し同年四月七百年の祭典遂行す
明治六年十月村社に列せられる 大正七年四月二十一日七百五十年祭を執行せり・・・一部省略・・・一ノ鳥居は遷宮当時より杉丸太ノ神宮?伊勢鳥居なりしも昭和三年四月二十一日石鳥居に改築せり
祭礼 例祭 十月二十一日 春祭 四月二十一日


三間社流造、軒唐破風付で、庇は中柱を省き一間とする



兎の毛通し


木鼻

木鼻

蟇股

蟇股


     左脇障子・・・
         ・・・物置になっています・・・

      右脇障子

縁葛・・・兎が彫られています

手挟み

龍の背面に、刻銘があります
・・・彫物師 柏原町住人 中井清次良正用 彫刻・・・


   説明書にも、中井清次良正用は、六代目中井権次正貞の弟と記されている

登録有形文化財・・・誇らしげです

・・・登録有形文化財登録基準・・・文化庁より
建築物,土木構造物及びその他の工作物(重要文化財及び文化財保護法第182条第2項に規定する指定を地方公共団体が行っているものを除く。)のうち,原則として建設後50年を経過し,かつ,次の各号の一に該当するもの

(1)     国土の歴史的景観に寄与しているもの
(2)     造形の規範となっているもの
(3)     再現することが容易でないもの



境内社


春日神社本殿右手に稲荷神社があります




稲荷神社側から下ってきました

県道300号線より見る・・・
・・・篠山市立西紀北小学校・・・運動会の練習のようです・・・イイすね!

春日神社、今回で三度目ですね・・・
前回は、2016年3月7日
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2016/03/blog-post_7.html

参道の石段が整備されていましたね
三間社流造、向拝廻りの龍や鳳凰の濃密かつ躍動的な彫刻は何度見ても、素晴らしいです
中井権次一統の足跡です

次なる梅田七社巡りに参ります


2017年12月6日

泊神社・・・文化財を巡って・・兵庫県加古川市加古川町木村宮本658

兵庫県加古川市をウロウロしております

兵庫県加古川市加古川町木村宮本658、泊神社を訪ねます
・・・宮本武蔵・伊織 ゆかりの宮とあります・・・こちらも、七五三詣の幟が‥・
随神門



わがまち加古川60選 泊神社

神代に伊勢神宮の御神体の一つである御鏡がここに泊まり着いたことから泊神社が起こったといわれています
祭神は、天照大神・少彦名神・国懸大神です
現在の社殿は、永承二年(1653)宮本武蔵の養子、宮本伊織が改築したときのものといわれています
一歩足を踏み入れると境内は広く、南北朝時代の石弾城の石垣と思われるものや、宮本伊織寄贈の花崗岩製の灯籠、市指定文化財の36歌仙図絵馬が残っています
                           ・・・案内板より引用・・・

右から、絵馬殿、拝殿、本殿と・・・
神額・・・「正一位泊大明神」・・・
登録有形文化財の証
本殿、登録有形文化財
南面する入母屋造妻入銅板葺で、正面に軒唐破風付の向拝を付ける特徴的な外観となる。一間社で、背面は中央に柱を建て二間とし、正・側三方に榑縁をまわす。身舎は円柱で、柱上は出組。向拝は三斗組で、中備に蟇股を置く・・・文化庁より引用

・・・泊神社 灯籠・・・
この本殿裏の二基の灯籠は、宮本伊織とその一族である田原正久が寄進したものです
二基とも花崗岩製で、承應二年(1653)三月に寄進したことが、銘文によって明らかです
宮本伊織のもの(右側のもの)は、全高279cm、田原正久寄進のものは、全高165cm、あります
                            ・・・案内板より引用・・・

手前が、宮本伊織寄進の灯籠  奥が、田原正久寄進

・・・能舞台・・・


・・・石弾城趾・・・

城主は、大井三樹伊豫守宰任従五位左京亮で、暦応二年八月三十日雁南荘地頭職を給わり、この城に居を構えた。次宰の五男に雁南右衛門四郎勇という者がいて、永和元年五月五日父の跡を継いだ。正六位に任じられ、主馬助と号し赤松氏に従っていた。この勇の長男に雁南行部太郎長という者がいて、亨徳三年家督を継いで木村源五郎と号した。父にしたがって武功があったが、康正元年父勇討死の後、なおこの石弾城を固め守っていたが、長禄元年三月、山名宗全に攻められ討死して遂に落城した
                            ・・・案内板より・・・

石垣があると云われているのですが、見つかりませんでした・・・(>_<)

「P」に戻り、西、見れば、鳥居が・・・参道だったのですね・・・ここで、失礼!
宮本伊織・・・武蔵の供養の為、社殿を改築らしい  宮本武蔵は謎多き人物・・・
痕跡を辿ることも、面白いのだが・・・まぁ、それはそれとして・・・
承應二年(1653)三月に寄進の、石造灯籠、指定文化財には、ならないのかなぁ?






2017年5月28日

錦雲閣・・・登録有形文化財・・・山口県岩国市横山

「錦雲閣」 は、明治十八年(1885)に旧岩国藩主吉川家の居館跡が公園として開放された際、旧藩時代の矢倉に似せて造られた旧岩国藩主吉川家の歴代を祀る吉香神社内にある絵馬堂です

ロープウェイから見える、「錦雲閣」・・・エエ感じの絵柄ですね!!



お堀の水に?んで矢倉のような建物が、錦雲閣である

吉香神社境内の南隅にあたり旧藩時代には三階建ての南矢倉のあったところで、明治十八年(1885)居館跡が公園に なったとき、この絵馬堂が建造された・・・

・・・案内板より引用




桁行六間梁行四間,身舎五間×三間の入母屋造、桟瓦葺、楼閣風建築で、階下は土間敷で,外周は入口を除き腰を板壁として内側に腰掛縁を設けています
階上は板敷で高欄付切目縁を廻してあります

現在で目ぼしい絵馬は残っていません。



観光案内には・・・
・・・吉香公園の堀に面して立つその姿は大変風情があり、まるで一幅の日本画を見るようです・・とある!

・・・いや、そのとうりで、少し離れて、堀越しに見ることが、ポイントですね・・・(*^_^*)