中井権次一統の足跡を巡って、京都府京丹後市湊宮、蛭児神社を尋ねます
この蛭児神社は、中井権次一統作品集には、住所から日御崎神社として掲載されています
蛭児神社の由緒書に、日御崎神社と表記されています
いつも、参考にさせていただいている、丹波新聞、中井一統の技というコラムにもて蛭児神社として記されています
京都府京丹後市を走っています・・・これは、ぜひ、参拝、拝見せねばと・・・
府道11号線、久美浜小付近からのパチリ・・・久見浜湾です、キレイですね!・・・初めてですかね? 来たような? う~ん?
・・・民宿だらけ、そらそうでしょう・・・これからが、稼ぎ時、夏本番です
社頭に着きました・・・
・・・この社頭の前は、交番・・「P」は本殿の裏手にありました・・・
蛭児神社・・・
日留居大明神は延喜式の所載(第60代醍醐天皇の時代(897~927)に編修された神社明細帳)の村岡神社との説があります。
日留居は蛭児であることから後年社名を蛭児神社と称するようになった。
明治43年拝殿を改築し、玉垣・石垣をも改修、其の他の設備も加えて、摂社大川・日御碕神社の整備も整い、境内の面目も一新した。
境内社稲荷神社は元稲荷山にあり、小泉市太夫代官の奉祀崇敬する社で、明治維新の際、現地に移転した。
さらに、平成21年、6月御本殿廻りの玉垣を僅か取り除き改修、其の他狛犬、灯籠の移設をも施した。正面のみ石垣を新調し周囲は旧石垣を積み直した。
境内西北程にも四神ヶ嶽山頂に向かい蛭児神社御鎮座の跡の遥拝所を造営し鳥居を建立した。 四神ヶ嶽(ジジラともいう)蒲井村より大向村へ越える処の右の方に当り、この山上に村岡ノ神社がある。日留居大明神と云うとある。
「丹後府志」に、次のような記述があります。関が原の役のとき、福知山の城主小野木継殿介が、細川越中守の留守に乗じて、田辺の城を攻めた。是に於いて、玄旨法印は、長岡玄蕃頭の妻及び松井佐渡守の妻子を皆、田辺城内に呼び寄せ、その居城に火を放ち、一国一城のほかは、更に城塁を破壊し、悉く田辺城内に籠った。しかし、なにぶん急なことであり、久美より田辺に待機する時間はなかった。そこで、久美にいた佐渡の守の妻子は山深く隠れるように下知された。よって、大西三郎佐衛門、大西惣兵衛などお供してこの山に隠れたとあります
摂社:大川神社・・ 御祭神:五元五柱神 保食神 大己貴神 少彦名神 埴安姫神 大土御祖神 日
日御碕神社 ・・ 御祭神:天照皇大神 素盞鳴尊 境内社
稲荷神社(天満宮合祀)
・・・案内板より引用
拝殿・・・
大川神社・・ 御祭神:五元五柱神 保食神 大己貴神 少彦名神 埴安姫神 大土御祖神 日
日御碕神社 ・・ 御祭神:天照皇大神 素盞鳴尊 境内社
左、日御碕神社 右、本殿・・・
丹波新聞、中井一統の技に、中井権次一統作品集に記されている日御碕神社・・・
・・・丹波新聞の記事には、六代目中井権次正貞の銘があると・・・
千石船三社丸・・・
千石船の由来
社務所・・・
ホント、遠くまで、来たもんだ・・・ってね!
最近、日本海周りが主です・・・これからは、更に久美浜より、西、城崎方面、豊岡市へと・・
丹波新聞、中井一統の技の記事のお陰で、蛭児神社を、知ることができました・・・m(_ _)m
こうしてみると、未だ未だ、一覧表にない寺社仏閣がありそうですね・・(*^_^*)
そして、大発見・・・久美浜湾には、その海に面して、久美浜カントリークラブ・・ゴルフ場があるのです・・・
・・・見ていると、グリーンが、その先は海・・・海に向かって打つ・・・い~や! 面白そうですね!!
参拝日:2017年8月4日
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