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2017年8月7日

桜山天満宮・・・中井権次一統の足跡を巡って・・京都府宮津市


中井権次一統の足跡を巡って・・京都府宮津市へ三度目です!!
事前調査不足? 作品集の一覧に掲載されていない、桜山天満宮を訪ねます・・・
しかし、本家のHPにはチャンと写真入りで、紹介されています
しかも、なんということでしょう・・・仏性寺の隣なのでした・・・アチャ!

仏性寺の山門脇に「P」して、歩いてと、思いきや、道路工事が始まり・・・退去を!!
社頭・・・
左から、右へ、一方通行・・・南より境内へ・・・「α君」がいてます・・m(_ _)m


拝殿・・・
・・・中門、本殿と・・・中門前には、「出雲構え獅子」が・・
天満宮、由緒・・・
古くより天神社・天満宮とよばれてきた
もとは社殿うしろの桜山にあったというが、その勧請年代は不詳
寛永年間(1624~1644)に宮津藩主京極高広が現地に再建したと伝えられる・・・中略・・・
ここに祀られる菅公神像は、もと豊臣秀吉が身辺に守護神としてもっていたものを、側室松の丸の手を経て、藩主京極高弘に贈られたもとと伝える
京極高広は境内地の一角に、田辺の円隆寺成就院より宥栄法印を招き成就院密厳寺を建てて天満宮の支配に任じた
・・・案内板より引用


追記:境内宝物館には、祭礼屋台などを収蔵している・・・

・・・宮津市芸屋台・・・
宮津市の10月の行事、和火が10月10日から12日まで行われるが、その中の1日だけ芸屋台「天神山」が公開されました。 その屋台の彫り物が中井権次正胤であることがわかりました。正胤は74歳で亡くなっていますので、まさにこの世に生を受けてからこの世を去る時まで彫物師だったようです・・・刻銘「兵庫氷上郡柏原町 彫刻師八代目 中井権次正胤 七十四翁作」
・・・中井権次作品集より、引用







残念なことに、刻銘は見当たらない、いや、背後にまわることさえできないので確認不可です・・・
・・・それに、中井権次作品集の記述によると「中井権次一統か?」とある・・・

まぁ、それはそれで、多分、中井権次一統の足跡であろうと、推測します・・・(*^_^*)


参拝日:2017年8月4日











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