ページ

2015年11月20日

潮岬灯台、そして、その側に、潮御崎神社です・・紀伊半島、縦断のひとり旅!

念願の潮岬灯台を訪れました・・・灯台の上からも社殿が見えていました・・・潮御崎神社!
潮御崎神社・・潮岬灯台の入口、右側のフェンス沿いに進むと・・・参道があります・・・
・・・歌、一首 伝花山法皇  歌、一首 伝白河天皇 の碑がある

石垣がずっ~と、続きます・・
明神鳥居が見えてきました・・・
本殿への石段前の石灯籠の寄進者・・北國屋七右衛門、明和三(1766年)と読めます・・

おおぉ、お城みたいな雰囲気ですね・・おそらく、防風のための石垣
拝殿です・・・


由緒・・・拝殿前に手書きの紙があります・・・
「記紀」にいう当地御崎は、少彦名命、熊野御崎より常世国に渡り給うたという聖地で、景行天皇28(98)年、御崎の「静之窟」内に少彦名命を勧請したのに始り、その後、潮崎安磨「静之峯」に遷座した・・

 しかし貞観12(871)年5月に、潮崎安守はさらに「潮見の端」へ遷座したと伝えられる・・

また、当社は貞観17(875)年10月の『三代実録』にみえる三前神で、神位従五位下に敍せられたという・・

 江戸時代は、御崎大明神社とか御崎明神といわれ、また周参見より下田原に至る18ヵ浦の総産土神として崇敬されていた・・
 さらに当社には、既に寛永十四(1637)年の古文書にも見られる、18ヵ浦の鰹漁の船主・船頭が毎年旧正月・5月・9月の18日に潮御崎神社に集り、神官の立会で鰹漁に関する規約を確め、海上安全豊漁祈願を重ねる岬会合「鰹漁に関する約束ごと」を戦前まで行ってきた
当社の両部神道による本地仏が観音であったことから、潮御崎大明神とか御崎観音ともいわれ、西国巡礼者からも敬われた。 明治初(1868)年、社名を潮御崎神社に改称、同2年、境内地を灯台建設のために日本政府より求められて旧社地といわれる現在の地、静之峰に遷宮した。
・・・和歌山神社庁の神社案内より引用

棟札(本殿屋根葺替 文禄二年(1593年)とあるらしく、本殿は春日造とのことだが、社殿は本殿を被い拝殿と一体としている様子・・風対策ですね?

御綱柏(みつながしわ)・・串本町指定文化財
 記紀にいう御綱柏は「16代仁徳天皇の后磐之媛が豊楽(宮中での酒宴)をなさろうとして熊野岬へ御綱柏を採りにこられた」とある。古代のロマンを秘めて幾星霜を、温存されてきた植物であり、当地ではこの「マルバチシヤの木」を御綱柏と言い伝えてきた・・・案内板より引用

石垣に囲まれていますね・・・防風対策に間違いないですね!
上部写真の内、一基・・・ 串本町指定文化財となっている
          
潮岬灯台が見えますね・・・
潮岬灯台への入り口の前、潮御崎神社の手前に立派なお屋敷があります・・・
このお宅も石垣に囲まれています・・・しかし、この地に住居も凄いです・・想像ですが、宮司さん宅かなぁ?

潮岬灯台、潮御崎神社と巡ってきました・・・・
さぁ、本州、最南端の地へ、向かいましょう・・・



参拝日:11月6日





0 件のコメント:

コメントを投稿