・・・銀山旧記には、“銀の出ること土砂のごとし”と記されている・・・と、すごいね!!
滝間歩旧坑・・・・金香瀬坑出口上部・・
生野銀山初期(1542年)に掘られた坑道で鉱脈の中だけ掘った、人のやっと通れる程度の典型的な旧坑である・・・
彫刻の跡・・・南無阿弥陀仏、仏像?
戦国時代、徳川時代、坑夫たちが仕事の合間に坑内安全を祈願して掘ったものとある・・仏像?
金香瀬旧坑露頭群入り口・・関所である・・要:通行手形・・(*^_^*)
ここから往復約30分・・・ちと、ばてています・・
露天堀跡(慶寿ひ)・・・ 慶寿ひは生野銀山最大の鉱脈である、千珠ひの一部で非常に品質の高い銀(自然銀)を算出しました。この鉱脈が発見されたのは、室町時代末期の永禄十年(15687年)頃と記録されている・・ ここから見える堀跡は慶寿ひの一部で、江戸時代の末期まで三百年間休むことなく採掘され、地下200m の深部まで達していると・・・案内板より引用 |
慶寿の堀切・・・徳川時代・・・史跡、露天堀、慶寿ひ・・・
銀山日記に記されている・・・“銀の出ること土砂のごとし”・・の文言
今、当時を想うに・・ここに立っているだけで、ワクワクしてきますね・・・(*^_^*)
慶寿の堀切・・・
地中から噴出した鉱脈が地表に現れたものを露頭というが、これを露天堀で鉱石を掘り取った徳川時代の採掘跡・・・
戦国時代、徳川時代、坑夫たちが仕事の合間に坑内安全を祈願して掘ったものとある・・仏像?
資料館に入ります・・・
この模型は江戸時代の坑内略図を参考に東寺、生野銀山で鉱石を掘り出す作業を再現したものです・・・ |
水を汲みだす者・・・ 風を送る者・・・ 監督する者・・・ 休息をしている者・・・ 地中深く・・気が遠くなりそう・・ いやいや・・・ 見ているだけで、恐ろしくなります これが、300年間も続いて、銀を掘り出していたとは・・・ 人間の力はすごいね! 権力の握る者のなせる力か・・ |
出ました・・・生野銀山産出銀鉱石・・・
・・・残念ながら、虫眼鏡みても、よく、わかりましぇ~ん!!
入り口の門柱・・・菊の御紋の入った門柱です・・・
生野銀山は明治に入ると共に政府直轄鉱山となる・・・明治九年、当時の工場正門として建造された・・・
陽が落ちてきました・・・山間は日陰で薄暗がりになってきました・・・
坑内、坑外を見て回りましたが、残念ながら、過去に訪れた記憶が出てきません・・・(^_^;)
新しい記憶として、備忘録に記しておきましょう・・・・
そうや!・・・世界遺産、岩見銀山にも行ってみたいものですね・・・
記念スタンプを・・・(*^_^*)
追記:訪問日 10月23日
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