それはそれは、大昔、25年前?ぐらいに、息子ら連れて、家族で訪れたようですが・・・?
訪れたことは覚えているのですが、どんなとこだったか・・全く、記憶にないのです・・・・(^_^;)
今回、嫁と二人して、ススキの大草原、砥峰高原へ行った帰りに、立ち寄ることに・・・
ススキの大草原、砥峰高原からの道順は・・・長谷から北上、県道39号線を走ります・・・
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/10/blog-post_23.html
GoogleMapでは、23.3km、38分の距離です・・
そして、知らなかったのですが・・・栃原トンネル・・長さ1098m、1991年完成の栃原トンネルです!
出口が、生野町、国道372号線に繋がっています・・・これは、すごいです!・・グルッと・・山を回り込むと思っていました・・・
・・・・こんなに近距離とは・・・・
旧生野町中心部の口銀谷地区から栃原地区を結ぶトンネル・・・トンネルができるまでは峠を通る必要、所謂、一山越えることが無くなったということですね! 片側には、遊歩道もありました・・写真、ありません(iPhone4、レコーダフリーズ‥(^_^;))
生野銀山への途中には、先日、ひとりで訪れた、口銀谷町があります・・・
勿論、短時間で、嫁を案内しながら、ぶらりと散策しましたよ・・・・(*^_^*)
で、いよいよ、生野銀山へ・・・
今は、シルバ生野?・・・生野銀山、正門から「P」へ入ります・・・空いていますね
左右の岩壁に人?が張り付いて・・作業しています・・・
生野銀山由来記・・・
明治政府は近代化を推し進めるため、「お雇い外国人第1号」のフランス人技師ジャン・フランソワ・コアニエを鉱山師兼鉱学教師として雇い、コアニエが帰国するまでの10年の間に、製鉱所(精錬所)を建設し、生野に日本の近代化鉱業の模範鉱山・製鉱所の確立をめざした。 明治22年(1889年)には生野鉱山と佐渡鉱山が皇室財産に移され、宮内省御料局の所管となった。 明治29年(1896年)には三菱合資会社に払い下げられ、以後、三菱の経営で国内有数の大鉱山として稼働してきたが、昭和48年(1973年)3月、1100有余年の幕を閉ず・・・ 生野銀山由来記、パンフより引用
入り口・・左の坑口から入ります・・・金香瀬坑・・
鉱夫のこと下財・・と・・・
堀大工・・ ノミ一本で命がけで鉱脈をさぐり当てて掘り進む・・ |
ノミ一本で掘り進んだ穴で、坑夫一人がやっと通れる真四角に掘られた坑道
酒の熟成室・・・温度13度らしい・・
この音が坑内に響き渡れば・・凄かったでしょうね・・・
エレベータの様子・・・2階建てのエレベーターやね!
この金香瀬山は御所?山と言って定詰役人が二人ずつ昼夜詰切りで日々掘り出す鉱石を調べ下代に記帳させて厳重に監督した・・・
出口です
坑内の写真はむずかしい・・・フラッシュ使うと光過ぎ・・対面距離が短いからやろね!
あっという間に電池切れ・・予備はポケットに・・・常備していますが・・・
さぁ、次は、坑道外コースである・・慶寿ひ(金香瀬旧坑露頭群)へ参ります・・・
続きます・・・・
追記:訪問日 10月23日
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