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2014年10月3日

旧西尾家住宅、重要文化財・・大阪府吹田市!

大阪府・・この都会のど真ん中に、大屋敷はあるでしょうが、なかなか拝見できませんね!
しかし、大阪府吹田市・・・重要文化財、旧西尾家住宅・・・一般公開・・凄いの一言です!

実は、私・・この吹田市内本町・・若い時から今日までも、訪れる機会が多い地なのです!
旧西尾家住宅を観てみたいと、思いだしたのは、二年前のことなのです・・・突然なのです・・・

では・・・・・・備忘録開始・・長文で~す!

旧仙洞御料庄屋 旧西尾家住宅(吹田文化創造交流館)・・・
道標を見て、一筋入らないと、存在がわからないでしょう・・・・

写真でみると、この一角は御屋敷ばかり・・・
あとで、案内の方に聞いたのですが・・
全て庄屋さんの屋敷らしい、現在もお暮らしのようで・・・
巨木に囲まれて、萱葺き屋根しか見えませんが・・・

庄屋さん・・・吹田村には三軒あったとのこと!

写真左:白枠御屋敷群、赤枠、旧西尾家
ひときわ目立つ、高いコンクリートの塀に囲まれた大きな門構えの家なんです
ここが旧仙洞御料庄屋旧西尾家住宅です
写真左下:上の門から繋がる東南の壁  写真右下:角を右折して連なる西南の壁
仙洞御料とは天皇を譲位した上皇の所領地のことであり、そこから皇室や伊勢神宮の新嘗祭などに、米や野菜のお供え物の神饌を献上するお役目としてきました・・・西尾家は4、7~10代が庄屋を勤めたようです

旧西尾家住宅・・敷地は1,400坪を誇り、主屋の延床面積は198.6坪にも及ぶことから、その裕福さがうかがえますが、今の屋敷の様子にされたのは、11代目、12代が大きな役割をしめていると・・
明治初期の代の当主と・・東大出身の11代当主・・・あらゆる知識の差が大きかったのでは・・
その差がこの屋敷・・文化知識の伝統と茶の湯の精神を感じる屋敷で、主屋・茶室・離れ・蔵など多彩な建物と風情ある庭園に現れていると・・・説明受けました!

さぁ、入ります・・・無料公開です・・・国の重要文化財、それを吹田市が吹田文化創造交流館として一般公開しています・・・
実は2回目なんです・・二年前、一度目は門を入って玄関で失礼しました!
なぜかって・・説明に一時間強かかります・・と、云われて・・今日、時間がありませんので、後日と・・

侮っていました・・1時間では終わりませんでした・・・
本日案内いただいたボランティアガイドさんの説明が、丁重で詳しく・・・ほんと、話しがはずみ、2時間も・・・・
・・・前置きが長くなりました・・・ね!
表門は門、長屋付きとある 門の位置は街路より約8mも奥に控えていて、大阪府下に例を見ないとのこと・・
写真右下:納屋 南北30m かってはガラスの引き違い戸があったとのこと・・・

ここで、受付の方がお出迎え?いただき、・・「ボランティアがご案内させていただきますが・・1時間ほどかかりますが・・お時間ありますか?」・・と!
それぐらいでしたら・・・手短にとも(失礼)、お答えし、玄関横、普段の玄関から入り・・・

受付で来場署名を・・・

ボランティアの説明員の方・・ご年配の方・・・
この方と1時間の予定が、2時間も案内いただくことに、なろうとは・・・・

・・・ということは・・・
備忘録、長文に、なりそうですよ!・・m(_ _)m
最初に作業場、土間(計量部屋跡)から説明開始です・・・・ 仙洞御料の言葉の意味から・・・です 写真はすべてOKです・・・
写真左下:全体のジオラマ 写真右下:案内板よりの地図

右図面と比較してみれば、よくわかります!
11代興右衛門義成、12代義雄によって、明治中期から昭和初頭にかけて建築、整備されたのが今の建物、庭園です!

いきなり引き戸を開けて・・蔵へ! 吹田村仙洞御料 獻納蔵・・・天皇のご隠居分として、約1,107石(宝永三年1706年)の土地が吹田村にあてがわれ、西尾家が七代にわたり、世襲して管理運営をしたと!
耕作農民は税率五公五民(50%)を年貢米として約1,383俵がこの蔵に一時収納され安威川の吹田浜(現新京阪橋西詰)まで蔵出ししてここから船積みされて伏見まで回漕し、やがて一端二条城を経由して仙洞御所へ納入された・・
・・と、蔵の戸に手書きで説明書きがあります・・税率50%か・・農民は、生活苦しいやろね!
計量部屋跡・・受付、展示室です・・土間部分は煉瓦敷きですね!
主屋へあがります・・・ブルーのカーペットが順路ですが、奥へ進んでいきます
左手には、主、玄関・・通称、開かずの玄関らしい・・お客様専用、大変広い、式台玄関です! 格子戸は後から付けたようです!
茶室二席・・・玄関棟には茶道藪内家の藪内節庵の揮毫と見られる扁額「味々庵」・・
台目三畳の茶室、加賀蒔絵師、神戸雪汀の部屋とのこと・・
母屋棟へ参ります・・・母屋の間取りは、幕末の庄屋層の形式を基本とした様式ですと! 縁側・・柱の部分までが明治時代のもの、柱より左はガラス戸が入り、大正時代に増築された部分、その跡として、雨戸収納部分があります(写真右下:赤四角部分)
ガラス戸のガラスは、室内から外を見ると揺らいで見えるようにカットが施されたガラスとのこと・・
座敷・・何畳か、聞き忘れたが、広い・・・これと云って豪華ではないが、出書院、違い棚、床脇地袋、欅の一枚板・・・ 欄間の16菊の飾りが珍しいと・・・貝殻の粉で塗り造られたもの・・下地は絹布?
写真左下:欄間をアップで  写真右下:釘隠し、水仙ですね、他のお部屋は桔梗なんです!

貴志康一誕生の間・・・
作曲家、指揮者として、昭和初期の天才音楽家・・・貴志かめ(旧姓西尾)の実家のこの部屋で産声を上げました
甲南高校で学んだ日本を代表する音楽家であり、日本のクラシック音楽の草分け的存在です
スイス、ドイツへ留学し、ベルリン・フィルの巨匠フルトヴェングラーのもとで指揮者・作曲家としての才能を開花させました
惜しくも、28才、腹膜炎で他界とのこと・・・!

すみません!・・御仁、知りません
母屋2階への階段は・・・箪笥階段、衣桁(丸衣桁そり付き飾金具つき )・・・そして、長持!
箪笥階段・・ある部分から逆さまにかぶせれば、蓋になり、2階へは上がれず、タンスの壁となる!
衣桁・・蒔絵が素晴らしい 長持、漆塗り・・・12代の奧さんの、嫁入り道具らしいと!
ここで、案内人さんから質問が・・・衣桁にはどのようにして着物、打掛をかざるのでしょうか?・・・
・・・私の答え・・丸衣桁そり付き飾金具の最上部を上に外します・・!
平凡な、おっちゃん・・ピンポン・・大正解です・・って、褒めていただきました(*^_^*)

居住部です・・・おおぉ、電話室、電話機です!
吹田村で、最初に敷設したのが・・・
西尾家、1号機-0001番とのこと、
2号機-0002番は、アサヒビール、
3号機-0003番は吹田役場!
・・一番ってのが、凄いね!・・
建物は明治28年(1895年)に建築されているので、電話敷設はそれ以降とのこと!
台所・・見たことがない、配電盤!!
このような、配電盤が一般の家に・・当時の最新設備ですよね・・見ただけで感電しそう・・(^^;)
写真左上:左下のタイル張りのテーブルも素敵です(テーブルだけの写真、写していません)
写真右上:一部拡大しました いや、これも、文化遺産やね!

提灯入れらしい・・・家紋、三階菱?
写真左下:家紋、三階菱?  写真右下:奥様の紋・・(蝶やね、多分・・?)


・・・・・これから、庭園に入ります・・・露地及び離れの見学は受付必須ですよ!・・・・・

露地とは茶庭ともいい、茶室に付随する庭園の通称とのこと・・・知りませんでした(^^;)
この庭園・・主屋の南西にあたる約310坪の広大な庭園です
庭に入った最初の説明が・・雪隠・・
雪隠とは・・厠、便所のこと・・唐の禅師雪峰義存が厠を掃除して大悟した故事に由来するともいうとご説明いただきました!

そして、中に入ってみました・・・ちょっと、あれなんですが・・・パチリです!
これは小便器、前の戸をはずして、用をたしたと、思います・・
なぜって、この高さが私の腰の位置まであるから・・無理! ・・
説明員さんも初めて見たらしい・・さすが、大の方は扉閉まっていましたから・・パス!
写真左下:小便器  写真右下:赤枠部分が雪隠
この雪隠は、茶室もあることから露地用らしいです!

この庭は禅の世界とのこと・・凡人の私には解りませんが・・・
写真右上:大きな松、この位置から見る庭園、松がお気に入りとのこと・・そう、案内人さんです!
そして、この松があるので、茶室が「松の屋」とも呼ばれたとか・・・

庭から見る、主屋・・・
大正時代に増築された部分の屋根が銅板葺き・・雨樋も屋根も銅板ですが、戦時中の金属供出には旧西尾家は除かれたと・・・
屋根の重なり具合、なかなか、重厚なもんですね・・説明いただいたのですが、失念しまいした!

四腰掛・・・
桂離宮にある卍亭の写しと云われ、四腰掛、宝形屋根、卍に配置された腰掛けはほぼ同じだが、桟瓦葺きにして、ガラス窓としていると・・・
説明さんと二人して、卍イスに腰掛け、・・旅談義・・しばらく時を忘れ、話し込んでしまいました!

茶室・・・積翠庵・・京都藪内家 燕庵写しと、パンフにある
積翠庵・・京都藪内家 雲脚写し

庭を散策中・・・又々、説明員さんより質問が・・・これは、なんでしょう?
私、わかりません・・!
答え:砂雪隠・・・
所謂、庭隅の砂地に立ち小便・・ふ~ん!
お茶室専用みたいやね・・・
コンクリートの壁に空けられた入口・・・内部からです・・用途不明!
写真左上:庭園内部より 写真右上:街路の外部より  ここしか、コンクリート壁の出入り口はない!
説明員さん曰く、昔、川が氾濫し、水が押し寄せため、この高いコンクリート塀が造られたと・・いまでいう、防波堤?の役目も・・!!

吹田慈姑・・・案内説明板より引用 ・・
天保14年(1843)の『吹田村明細帳』に「禁裏・仙洞・女御・大宮」の四御所へ毎年春「所産」の「姫慈姑」を献上と記載があるように、吹田村の慈姑は古くから有名でした。この慈姑を学術的に最初に紹介したのが牧野富太郎です。学名をSagittaria Linn forma Suitensis Makinoといい、吹田を名にもつ唯一の植物です・・・(太文字部分:吹田です)

恐るべき邸宅・・・なんと、コンクリート製プール・・があります!
そして、その横には、いまや、廃墟みたいですが、ボイラー設備のあった温室が・・・
写真左上:プール  写真右上:温室(地下室もある)
コンクリート製プールは案内板には防火水槽とあります・・南北16.2m 東西7.2m 四隅を面取した防火水槽・・地域にプールとして解放されていたと・・ これだけのプールに水はるだけでも大変だろうに・・・太っ腹!!
そして、屋根にそびえる避雷針の設置も含め、吹田地域の民家では希有なもので貴重な史料です!

離れへ・・・・
写真左は、離れ東棟・・

大正時代(1926年)の建築で、当時、関西建築界の重鎮であった武田五一が設計を行い、三輪彌助が大工として建築にあたりました。
建物は内外とも和風に造る和風(居住)棟と、外観を和風、内部を洋風とする洋風(接客)棟の二棟を東西に設けています
武田五一と、西尾家・・大正11年西尾家養女と再婚とある・・深い縁があるのですね!
写真右下:ビリヤードの英語のルールが・・・そう、この部屋、ビリヤード台が設置されています!
写真左下:暖炉、煙突はありませんから、飾りみたいです・・タイル?石板?貼りの模様が綺麗です!
写真右下:部屋の奥の額の左には現像室があります・・
今、物置ですが、一畳ぐらいの広さですよ・・凄い!
写真左下:入口ドアの上ののステンドグラス  
写真右下:手巻き蓄音機(Victroln・・ビクターですね!・・)・・貴志康一の曲が流れていました(曲名不明です)
離れ西棟に・・・舟底天井の渡り廊下?を進むと・・12代が普段使っていたらしい・・和室へ・・
和室の化粧鏡?・・蒔絵が施され、 衣桁と同じ時代か?

一周しました・・・案内人さん、ありがとうございました・・・ 最後に玄関の写真を撮ろうとしたら、格子戸閉まっていました・・・
そうすると、開けましょうと・・わざわざ開けていただいたのです・・・もち、パチリです


そして、最初にも気になっていたのですが・・「忠」「孝」の屏風・・・・
屏風に書かれている文字の意味はわかりません・・ ・・
忠とは、君主あるいは主人に対する忠誠のこと・・
孝とは、親に対する奉仕のこと・・
説明員さん、曰く・・儒教の教えであるらしいと・・・!
徳川幕府は宗教ではなく、学問として受容されていたはずですね!

さぁ、2時間たっぷりと、旧西尾家探索できました・・・ボランティアの案内員さん・・ありがとうございました!

帰りは、旧西尾家の外塀を一周して帰ります・・・ええ感じやね・・!
表側はコンクリート塀、裏は杉板塀  写真左下:ここも写真でみえた、左側大屋敷です!

旧西尾家とは関係が無いとはいえない、浄土真宗、光明寺・・・
説明員さんより聞きました!・・ ここの鐘楼は西尾家より寄進されたと・・

最後に・・・光明寺のすぐ側、この地域の公民館に隣接する、都呂須地車・・・・車庫!
説明文によると・・・天保6年(1835年)に製作され、現存するものでは大阪府下で天保5年製作の交野市星田地車に次いで古い貴重なものとあります

と、云ったことで、ホント・・長々文になりました・・
観たところ、感じたところ・・全て記さないと、気が済まなくなってきていますね!
これも、平凡な、おっちゃんの備忘録ですから・・・

久しぶりに大屋敷を拝見しました・・・又、伺いたいものです!!

秋の紅葉で色づいたら、再訪・・・おおぉ、もうすぐやん!



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