なぜか、先日、新聞に、加西市鶉野の「姫路海軍航空隊鶉野飛行場跡地」の資料館の記事が
昨年、「姫路海軍航空隊鶉野飛行場跡地」を探し、結局見つからず諦め帰りました
よっしゃ! 今日は通り道、青空、鶉野飛行場跡地・・ぴったし!
うん?
正式名称?・・・姫路海軍航空隊鶉野飛行場
その前に「国史跡、広渡廃寺跡、歴史公園」を訪ねました
さぁ、加西市鶉野、目指して「カーナビ君」たんのませぇ!
今回は、詳細な地図、PDFまで、iPad2君にいれて、来ています
これで迷うことはないでしょう
しかし、それが、一筋、間違ったのです
おいおい、お前の方向感覚はどないなっとるんや?・・自問自答です
そして、Uターンして、間違った筋ところまで、戻り、進みます
そうすると、平和祈念の碑の案内板、発見
そして、その先見れば、おおぉ! 「鶉野飛行場跡地、滑走路」が・・・ ここかぁ! 意識して見ないと、分かるわけ訳がない ここで、停めているトラックの運転手さんとの会話が・・・ 後述します! |
写真下のGoogleMapのA地点よりC地点も見た景色です
GoogleMapから引用・・・
写真上:A地点よりC地点を見た写真 B地点:北東の最先端 C地点:南西の最先端 |
第二次世界大戦中、川西航空機姫路工場の専用飛行場として建設されたが、姫路海軍航空隊や筑波海軍航空隊分遣隊が駐留し訓練基地および特攻隊の出撃拠点となった。当時、川西姫路工場では紫電、紫電改が製造されており、それぞれ486機、44機が組み立てられた。 当時、この飛行場で主に運用されていた機体は93式中練、97式艦攻などである。 当時の主な概要は以下のとおりである。
総工費 16,687,219円:面積 2,531,040平方メートル:滑走路 全長1,200m、幅60m 1本
誘導路 総延長15,000m、幅30m:掩体壕 55箇所:格納庫 9,150平方メートル 20Mx120M 2棟
兵舎 約8,919平方メートル:対空機銃 25mm連装機銃 4箇所:25mm単装機銃 2箇所
他に自家発電施設や地下暗号通信室などの設備もあり、弾薬庫なども含め厚いコンクリートで固められた地下施設があった・・・・
現在は防衛省が管理しているが平成26年以降に加西市に払い下げられる予定とか!・・・
・・・平和祈念の碑に立つ説明板、及びWikipediaより引用・・・
写真下:北東のB地点からみた景色・・・1200m?先に見える建物が南西のC地点
写真下:C地点からB地点を見る・・・
なぜ、「α君」が滑走路にいるの?
勿論、0-400m、激走?して離陸です
自衛隊鶉野訓練所、防衛庁用地につき立ち入り禁止看板ありですが・・・
皆さん、この滑走路横切って反対側の民家方面へ走って行きますし、滑走路走って、道路へ出ています
生活道路かも、そして、滑走路の隣の道、皆、爆走してます
直線、道路?
爆走するのですね・・・はい、よ~く、分かります!
・・・昨日も自衛隊が訓練していた、警察も訓練しているよ
近くに青野ヶ原演習場があるし、普天間問題なら、ここに移転させればいいのにと・・・
おおぉ、なんと、過激な発言が飛び出してきました
青野ヶ原演習場は昔は山へ入れたし、松茸がよく採れた「今は勿論立ち入り禁止!」寂しいって!
平和祈念の碑
特攻・・・なにを語らんや! 今も続く、自爆テロも同じか? |
平和祈念の碑の横に展示されていた97式攻撃機と、紫電改のエンジンの整備台と・・・
前回も訪れた、防空壕
しかし、今は入れません、新聞に掲載された別の資料施設ができたかもね!
個人運営でしょうから、残念!
写真左下:防空壕前の神戸大学農場 写真右下:防空壕横に立ち並ぶ太陽光発電パネル
これで、昨年よりの想いが達成できました
機銃座跡、発電所跡など、残っているように、加西市の案内にはあるのですが、見つからず民間の敷地内とか! まぁ、それは、諦めてね
平成26年以降、防衛庁から加西市へ払い下げ
その前に来られてよかったです・・・なぜって、どの様に活用されるか分からないし
太陽光発電パネルなど立ち並べば、「α君」激走できませんから
上手に活用して、加西市の観光誘致?、発展に貢献できれば、この地で活躍され亡くなられた方々も喜ぶでしょうね
戦争の遺跡は、楽しむものではありませんが、私の父も、戦争経験者、それも特攻出撃2日前に終戦・・・って、よく聞かされました!
我が家から、距離にして20kmぐらいかなぁ?
戦争時の遺産があることを知っておかなければ・・・
川西航空機製作所・・新明和工業と発展し、国産旅客機YS11の名機を生み出したのですよね!
そして、現在、日本の世界に誇る、救難飛行艇US-2 も新明和工業が製造しているのです!
がんばれ、日本!!
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