その折、いただいた15種にもおよぶパンフ群・・すべて黒田官兵衛ゆかりの地なのです!
TV放映でも、出ていましたが、御師(おし)が各地を廻り、情報収集して官兵衛に報告するシーン・・ありましたね!
その御師・・廣峯神社には社家や下級神官で組織された御師制度があり、東は若狭から西は安芸まで神符を配って廻ったと云われ、ともに黒田家家伝の目薬を売ってもらうことで財を成し、黒田家の礎を築いたと・・富だけではなく、土木の技術や各地の情報を伝えたと・・・
当時の廣峯神社の大別当は官兵衛の主君、古寺政職の弟であり、廣峯神社の御師の中に官兵衛と同じ家紋を持つ黒田姓の家があることからも、黒田家と廣峯神社の深い関係が伺えますと・・
いやいや、凄い歴史ですね・・・・祇園本社とは・・・全然知りませんでした
姫路城から北へ向かい、山陽道の高架下を通り、山へ上がっていきます・・徒歩では30分とあります!
ほどなく、「P」が見えました・・・数台、停まっていますね・・・立派な鳥居は、その「P」の上・・・
写真左下:天祖父社 写真右下:夫婦岩 この案内板にも官兵衛くんが・・・
写真右下:土塀が続く先に、本殿の千木、鰹木が見えます 手前の屋根の家は、御師屋敷肥塚家(非公開)です・・
廣峯神社の前に着きました・・・年配の男女、30人ぐらいの方々が宮司?御師?さんの説明を聞かれています・・・なんと、宮司?御師?・・着物、袴、それに脇差しを差しています・・説明員さんかなぁ?
その団体さんを避けるため、ちょっと、門前にて待機・・・待っている間、右側に発見・・・
その石段の右手に・・重要文化財、宝篋印塔・・室町時代初期の作
高さ、224cm・・廣峯神社の背後、俗称「吉備ッ様」と称している地に埋没していたものを現在地へ移した。宝珠の一部を欠くが姫路市内の宝篋印塔のうち最もすぐれたものであると・・・
随神門です・・・ここから見える、播磨灘・・絶景です(やや、木が邪魔しているけど・・(^^;))
表門とある、元禄十年(1697年)
幅、広っ!・・それが見た瞬間感じたことです・・それもそのはず、正面十間なのです・・
桃山時代の建立・・・すばらしい、たたづまいですね・・!・・では、参拝いたします
右側より、本殿を拝見に参ります・・
本殿・・・室町時代中期の様式、中央七間に神殿と仏間を交互においた神仏習合の建物と・・・
暦神 牛頭天王(上部説明)・・神秘なる「九つの穴」・・・
そう、本殿の裏側には九つの穴が開いています・・この穴は生年月日により、運命星が定められている現代暦上の「九星」に相当します。穴深くには、自分の守神が鎮まっておられますので、自分の穴に向かい参拝すると・・・・
尚、穴に口をあてがい願い事を小言にて神様に伝える古来からの風習が今も残っています
嫁と六才離れているので、左右別れて、穴に口をあてがい、お願いいたしました・・m(_ _)m
写真左下:右、庚申社 寛延四年(1751年) 左、山王権現 安永六年(1777年)
写真右下:右、冠者殿社 19世紀 左、大鬼社 享保二十年(1735年)
写真左下:右、熊野権現社 慶応四年(1868年) 写真右下:右、冠者殿社 19世紀
本来は白弊山から黒田家屋敷跡と向かうつもりでしたが、・・時間も限りあるため、断念!
展望台より、景色を見ていたのですが・・ なんと、デジカメ・・電池切れ・・・(^^;) あちゃっ・・!! 3個ポケットに入れているはずが2個だったのです 姫路城で、2個目に入れ替えたとで~す!! 左写真は、最初に訪れた折、振り返って、趣のある道をパチリです・・・土塀が続く参道です! |
残念ながら、見ていません・・そこまで、考えが及びませんですした
世界で唯一日本にだけ自生しているカエデ科の落葉樹。 その名の通り、点眼薬や洗眼薬など、現代の目薬の代わりに「目薬の木」の樹皮を煎じて利用されてきました。 目薬の木(メグスリノキ)の樹皮や幹・葉などには多くの薬効成分が含まれており、煎じ液には結膜炎をはじめとして、かすみ目や老眼、近視など、目の健康に効果があるとされています。 写真、内容、Wikipediaより引用 |
修理中・・白鷺、姫路城! 白鷺に感動して、・・「やっぱり良いよなぁ!・姫路城」と感心しながら、姫路城周辺をママチャリで、サイクリング!
黒田家繁栄の礎の一つで、深い因縁の廣峯神社を訪ねました!
台風一過、晴天・・姫路城を訪れた多くの方々同様、感動に浸りながら・・・無事、一日の旅、終わります・・・
長文、長文、長文・・・・感謝!!
追記:「目薬の木」のお茶・・効能拝見すると・・うん!・・買ってみようかなぁ!!
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