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2014年10月27日

官兵衛ゆかりの地・・英賀、英賀城跡・・・兵庫県姫路市!

官兵衛ゆかりの地・・妻鹿、国府山城跡、訪ねました・・・更なる訪問地!
官兵衛ゆかりの地めぐり、コースNo21・・英賀です!

「英賀城本丸之跡」は石碑が街角建っているのみです!
岩繋城ともいう、南は海、西は夢前川、東は水尾川、北は湿地帯で守りには都合のよい城であった。鎌倉時代はとりでが造られたが、室町時代には赤松氏一族が守った。しかし、嘉吉の乱によって勢力を失い、三木氏が城主に・・・
英賀城は、播磨国英賀(兵庫県姫路市飾磨区英賀宮町)にあって、別所氏の三木城、小寺氏の御着城と並び播磨三大城と称された。

天正六年(1578年)、別所長治の三木城落城に続き三木通秋が籠もる英賀城も天正八年(1580年)に落城した・・・案内板説明文引用
左図:案内板より引用 図上の赤帯は土塁跡・・
左青丸、本丸跡 右青丸、英賀神社

では、英賀城土塁と石碑がある、英賀神社へまいります
社記によると、播磨国風土記にある英賀彦神・英賀姫神社祀る古い神社で、町名の由来もここ。
大鳥居は、延宝八年(1680年)
天満宮は嘉吉年間に完成したとみられ、境内には寛文七年(1667年)銘の手水鉢(写真右下)や、寛政六年(1794年)の狛犬があります
拝殿には、絵馬が多く、江戸期の絵馬も多く残っているとのこと・・・
写真下:神木竹伯(なぎ)・・・竹伯はマキ科に属し景脈が平行で竹の景に似ている珍しい木!
根周り3.8m 高さ14.5m 樹齢千年以上と推定される 昭和十一年三月天然記念物に指定
しかし、惜しくも令脈つき、昭和三十年代に枯死し今はその横の第二世が育ちつつあると・・・
英賀城土塁の石碑・・・

土塁の位置は境内の奥(白枠) 写真右下:土塁を神社の外側からパチリです
写真左下:本殿を土塁側から、パチリです
写真右下:神社前の道路に居座っている立派な石燈籠・・文政二年(1819年)天満宮とある・・・
この道が参道だったかもね、しかし、玄関、ガレージの真ん前にあります!・・いいですね!
神社の北側?には、英賀城跡公園があります・・・看板、小さいです(これしか見つからなかったよ!)
公園内の真ん中に城跡らしく、模擬石垣が作られていますね・・・
写真左下:英賀城、説明板   写真右下:公園の隅に「英賀城、野中口跡」の石碑・・
英賀城は、交易の盛んな港のある城下町(四十九町、約九百軒)と大いに賑わったと・・・
昭和30年ごろまでは土塁が残ってはいたが、夢前川の付け替え工事でより、消滅した・・・

官兵衛ゆかりの地めぐり、コース・・御着、妻鹿、英賀・・と、巡ってきました!
大河ドラマ黒田官兵衛のお陰で、播磨、姫路という地をより良く知ることができました・・

いや、ほんと、一人旅は、ブツクサいいながらの旅でもあります・・・続きますよ!!

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