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2014年10月27日

ひめじ官兵衛まち歩き観光MAP 随願寺・・・兵庫県姫路市!

増井山随願寺・・・播磨天台六山の一つ、史料では増井寺とも記されていると・・
・・・播州地方の最古の古刹です・・・

黒田官兵衛ゆかりの地、廣峯神社の東近く・・・廣峯山、増井山と両山が隣り合わせのです
姫路城から向かうと白国の信号から直進が廣峯神社へ、右折して向かいます
・・・「α君」、駆け上がる道も広く、快適な道です・・・

時間がやや遅く、夕刻間近・・・やや、薄暗く・・・人、だれもいません
・・・ひとり、ゆっくり、拝見させていただきました・・・

寺伝によると高麗僧慧便が開基し、天平年間(729~749年)に行基が中興したという。もとは法相宗であったが、天長十年(833年)に仁明天皇の勅命で天台宗に転じた。 天正元年、別所長治に攻められ、全山焼失、同十三年秀吉が再興したと・・・
姫路藩主榊原忠次が当寺を菩提寺として、再建、整備に尽力したとある

本堂・・国指定重要文化財・・・堂々として、どっしり構えておられるのが、第一印象です!
桁行七間、梁間六間、入母屋造本瓦葺き
大鬼瓦銘に「元禄五年(1692年)の篦書銘がある。様式的にも元禄時代の代表する建築の一つです。
唐様に従った細部が多く、技法的に丁寧な造りである(説明板より引用)
・・・写真 鬼瓦、写っていません・・・切れています・・・(^^;)


経堂・・・国指定重要文化財
桁行六間、梁間三間、撞木造本瓦葺き
平面的には正堂と礼堂を並べた形式の堂が変化したのので、正堂に磚敷きを残しているこなどから、延暦寺根本中堂などの磚敷きの正堂の名残を留めている


磚敷き?・・・ググってみました!
中国で粘土を型で固め,焼き,あるいは乾燥させて作った灰黒色の煉瓦。漢代に発達し,城壁・家屋・墓室の構築に用いられた。日本でも飛鳥時代の寺院跡や鎌倉時代の唐様建築などにみられる・・・ふ~ん! やはり、唐様式なんやね!・・・(Wikipedia引用)


鐘楼・・・国指定重要文化財 
袴腰付 桁行三間、梁間二間、入母屋造本瓦葺き
享保三年(1718年)建立、廻縁付の正規の袴腰付鐘楼です 

手水鉢・・・寛文五年(1665年)・・英賀神社の手水鉢といい、すばらしい!
同じところで、昔の人々が手清めていたと想像すると、エエもんですね!

奥の院、開山堂・・・国指定重要文化財
正面三間、側面三間、背面一間、通り下屋付
平面では仏檀の前を広げるために四天柱の位置を側柱通りより後方へ間半分ずらしている。
石燈籠は承応三年(1654年)の銘をもつ二基あり
随願寺に現存する建造物の中で最古のものである・・・と、表記あり

榊原忠次墓所唐門・・・国指定重要文化財
正面一間、側面一間、向唐門、本瓦葺き、享保十六年建立

榊原家は徳川家の譜代大名の中の名門で四天王の一つと数えられた。中でも忠次(1605~1665年)は文武両道に優れた人格者で、姫路城主として17年間に隋願寺の再建をはじめ数々の治績をあげて名君とされた。


写真右下:榊原忠次墓所の両側に、本堂の間にもある石垣の山・・・火除山かなぁ?

紅葉に季節到来です・・・1本だけ紅葉、紅葉越しの開山堂です

「P」です・・・どんと、バスのスペースに停めていますね(*^_^*)
時間が時間だけに、「α君」一台だけと思ったら、写真、左上奥・・・自動車教習仮免で車庫入れ練習中
ここまでの道はカーブの連続で、良い練習になるでしょうが、いやはや、こんな人気の無い山の中の「P」でね!・・う~ん?

嫁も息子も家電量販店の大型「P」で練習させたね!

・・・帰りの坂道降りるとき・・・夕日が沈む前、逆光で、浮かび上がる姫路城北側の姿、綺麗でした
・・・残念ながら、「α君」停めることができず、パチリも不可でした!

姫路市、いや、よく来ましたね・・2017年3月27日? 姫路城50年に一度の改修が終わり、いよいよ公開です!
入場料、お城では日本一高い1000円らしい・・・いや、2000円でもいいのでは・・・私感です!
それだけ、価値があるとおもいます・・・これから何度、訪れることでしょうか?

次の50年後の改修の折には、私、この世にいませんが!
御着のガイドさん、前回の昭和の大改修をご存じで、坂を木々を押していた光景をご存じでしたね!
うん?、今、御歳は?・・・まぁ、深く詮索はしません

では、次なるひとり旅は・・どこでしょうかね!


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