兵庫県西脇市に黒田官兵衛が寄進とされる県指定文化財、兵主神社拝殿です
実は、二回目です
2014年12月に訪れました
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2014/12/blog-post_79.html
今回は、二部構成で、記事をまとめています
一部は、県指定文化財、拝殿です
二部は、本殿彫刻、中川中川利兵衛です
遠景です
大鳥居・・・加古川線の踏切付近に立っています
県指定文化財 兵主神社拝殿
指定年月日 昭和52年3月29日
所有者・管理者 兵主神社
創立は、社伝によると、 延暦3年(784) 6月14日、 時の播磨椽岡本修理太夫藤原知恒の創始になるという。
建物は長床式の平面で、支外桁で軒を支えている。
建物の囲りは一部(西北隅室)を除き開放吹放ちで、内部は正面中央部三間を広間床とし、両脇間境を円柱々列とした特異な意匠になっている。
天正19年(1591) 8月27日造立の棟札があり、桃山時代における長床式拝殿として、 また、
その時代の茅葺入母屋造りの様式を伝える建築として、全国的にも稀に見る遺構である。
主祭神は大己貴命である。
平成3年11月 兵庫県教育委員会
兵主神社拝殿と黒田官兵衛
兵主神社拝殿 (兵庫県有形文化財)は黒田官兵衛寄進のお金で建造されたと伝わります。
織田信長の命を受けた羽柴秀吉は中国征伐に向けてこの地に来 て播磨一の勢力を誇る三木城主の別所長治を攻めますが、容易に落とすことができず、その攻防は二年近くに及びます。
当地の土豪で福地蟲生城の村上政治は尼子勢の襲撃に敗れ戦 死しますが、その遺児村上広直と村上直行は再起を図ろうと秀 吉軍に参戦、当地を兵站地として協力をしました。
兵主神社の祭神は大己貴命ですが兵主は中国『史記』に出てく 軍神、武神でもあることから秀吉は黒田官兵衛に代参させ奉納 金と共に灯明田七反を添えて戦勝祈願を行ったと伝わります。 奉納金は拝殿の建設に当てられ、 地元材を調達、山出し、乾燥刻み
を行い天正十九年(一五九一) 八 月に柱立、安土桃山時代の建築様 式を残す貴重な建築と評価されます。 当時、官兵衛は四十六歳、すでに 隠居をしており、如水と名乗っておりましたが、秀吉は官兵衛の隠居を許さず、朝鮮出兵の拠点城と なる肥後国名護屋城(現唐津市)の縄張りの指揮を取ります。
参拝
夏・涼しそうですね
右側面
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