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2022年11月20日

福井県への旅・・・国重要文化財・大瀧神社を訪ねます

福井県越前市大滝町13-1 国重要文化財の大瀧神社を訪ねます

大瀧神社の見事な彫刻を写真集で拝見し、いつか訪れたいと・・・
そんな矢先、新聞に「大瀧神社・川上御前」の社殿、彫刻と言い伝えが紹介されていました

福井県を旅することができ、そして、大瀧神社訪れる予定を立てました
いや~ 実にうれしいです

「α君」の窓越しに、鳥居を・・・

社頭です
イチョウの黄色が見頃です

境内

由緒
大瀧神社 紙祖神岡神社
御祭神 旧県社 大瀧神社
国常立尊 伊特諾尊
式内社 紙祖神 岡太神社 「川上御前(岡太大神)

当神社は神体山である権現山(三三六メートル)の山頂付近に建っ奥の院(上宮)と里宮 (下宮)とから成り立ち、奥の院には大滝神社と岡太神社の本殿が並び建っている。この山麓 にある社はその両社の里宮である。大滝神社の創建は、社伝によれば、推古天皇の御代(五九二ー 六三八)大伴連 大滝の勧請に始まると伝えられている。
ついて奈良朝に至って元正天皇の養老三年(七一九)越の大徳と称せられた赤澄大師がこの地に来り、大徳山を開き、木分神てあり、紙祖神である川上御前を守護神として祀り国常立尊・伊弉諾尊の二柱を主祭神とし、十一面観音をその本地とする神作習合の社を建て、大滝兒大権現、または小白大明神と称し、その別当寺として大滝寺を建し、社僧を置き神事を司らしめたことを伝えている。
岡太神社はこの村里に紙漉きの業を伝えたとされる川上御前花=「延喜式神名帳(九一六) に記載されている古社で往古よりこの神域に摂社として祀られたこの紙祖神として、川上御前に対する里人の信仰は篤く神の教えに従い古くから大滝神郷一円を中心に優れた紙を漉いてきた。
中世には大滝寺は平泉寺の末寺となり四十八坊の堂塔伽藍が山頂,山麓に並び社僧も六、七百人を擁して隆盛を極め神領七十余町、日野川以東の村落四十八ヶ村を氏子とするにいたった。南北朝時代には足利の軍勢に抗し、その兵火により一時衰退するが室町時代の中葉、 国主朝倉氏の帰依篤く再び社運は興隆した。天正三年(一五七五)城田信長の一向一揆攻略の際 再度兵火に会い一山ことごとく灰燼に帰したがその後に領主となった丹羽根長秀の保護により漸く復興することになる。
江戸時代には初代藩主結城秀康を初め代々藩主の崇敬篤く兵火のため焼失した社殿・再建された。 その後、老朽化により天保十四年(八四三)には江戸後期の社殿建築美の粋を尽くした現在の里宮の本殿 拝殿が再建された明治維新後、神佛分離令によって「大滝児大権」は大滝神社と改称され、昭和三年には県社に列せられ今日に至っている。
なお、大正十二年七月には、大蔵省印刷局抄紙部に接社岡太神社の御分霊が泰紀れ、紙祖神川上御前は名実ともに全国紙業界の総鎮守として多くの人々の信仰を集めてる
昭和五十九年(一九八四)五月二十一日、現里宮の本殿・拝殿がその歴史・記録の確かさと建築の美しさを認められ、国の重要文化財として指定を受けた。
さらに、平成四年(一九九二)五月、神門廻廊・奏楽殿が造営されますます神威が高まり、調和された輪奐の美を遺存するものとなった。

文化財 - 重要文化財
本殿、拝殿 一棟 (天保十四年建立)
文化財 (県·町指定): 奥の院 岡太神社本殿(初期再建·町指定)
奥の院大滝神社本殿(江戸中期再建·町指定)
神宮堂 木造産空成菩薩坐像(平安時代・県指定)
観音堂 木造十一面観音坐像(平安時代町指定)


神門・廻廊



正面

見事な社殿です

天保十五年(一八四四)に予定され ていた式年大祭(御開帳)に備えて 造営されたこの社殿は、曹洞宗本山永平寺の勅使門を作り上げた一代の名棟梁大久保勘左衛門の手になる建築である。彼は最も美しい社殿建築を考えた。 普通の神社は拝殿と本殿はそれぞれ独立して建てられる場合が多い しかし、彼は一間社流造り本殿の 屋根を入母屋造り妻入りの拝殿に連結して葺きおろした複合社殿を考案する。 山の峰を集めたような、あるいは 幾重もの波が寄せあうような屋根、複雑さの中に流れがあり、重厚さの中に躍動がある。
拝殿正面の獅子、龍、鳳凰、草花の彫刻さらには側面、背面の中国の故事を題材 にした丸彫りの彫刻などまさしく 精巧を尽くした作品で飾られている。
廻廊にたってこの社殿を拝するとき、なにか心引き締まる感慨を覚える。 背後の大徳山(権現山)は、里人はお峯と崇め、山全体が神体山であ る。山頂付近に奥の院三殿(右から 岡太神社・大瀧神社・八幡宮)があり、 簡素な構成ながら江戸初期から中期にかけての代表的な建物である


神額

さぁ、見事な彫刻群を見てまわります

拝殿・向拝
・・・水引虹梁上、親子龍
       
       拝殿左扉脇:金網でよく分からないが、見事なものなんでしょう

      拝殿右扉脇:こちらも金網でよく分からない
本殿右、胴羽目
      洗耳(許由と巣父)の図



       脇障子

背面・・・後方石垣との距離近く、斜め上になるため、難しかったですね

本殿右、脇障子・胴羽目 黄石公・張良

     
木鼻・蟇股



恐ろしい面相ですね・・・

妻飾り

手挟み

木鼻

木鼻

木鼻

木鼻・龍


桁隠し



神輿庫

神門前から境内を・・・すがすがしい空気が漂っています

川上御前のいわれ

紙祖神 川上御前の伝説由来

久しぶりに見事な社殿、彫刻を拝見いたしました

そして、手にとったパンフを読めば、曹洞宗永平寺の名棟梁大久保勘左衛門の手になる建築であると・・・

この雪深きところ、12月に入れば、社殿保護のため、雪囲いが施されるでしょう
いや、良き時期に来られたのも、よかったです
再び福井県を旅することがあれば、必ず立ち寄ることでしょう・・・

 













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